ヴァイオリンを欠いた弦楽合奏という実に変則な楽器編成ですが、低音楽器だけで演奏される渋くて、どこかふくよかさが漂う作品です。
第6番はヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ各2挺、チェロと通奏低音という、中低音域楽器ばかりのグループ・コンチェルトである。
バッハが仕えたケーテンのレオポルト侯はガンバの名手であり、ガンバのパートはそれほど難しく書かれていないため、おそらくレオポルト侯が、自ら担当したようだ。
バッハも、ヴィオラで参加したのではないかと思われる。
王の参加する音楽に相応しく堂々たる風格を持つ協奏曲だが、特に素晴らしいのはジーグのリズムによる第3楽章で、躍動的で華やかな音楽で全曲が締めくくられる。
ブランデンブルク協奏曲の作曲過程は、明らかではない。
ただ各曲の楽器編成や様式などから判断して、かなり長い期間に渡って創られた協奏曲の中から6曲を選び、編成の大きなものから順に並べたものと考えられている。
※Wikipedia引用
第1番「ヘ長調 BWV1046」のホルンとオーボエ、第2番「ヘ長調 BWV1047」のトランペット、第4番「ト長調 BWV1049」、リコーダー(recorder、ドイツ語では「ブロックフレーテ(Blockflöte)」、第5番「ニ長調
BWV1050」のチェンバロと、それぞれ独奏楽器が魅力的に活躍する。
ヴィヴァルディは山ほど協奏曲を書きバッハにも多大な影響を及ぼしたが、彼にはこのような多様性はなかった。
まさに、己の持てる技術の粋を結集した曲集であり、就職活動にはこれほど相応しい物はないと言える。
しかし残念ながら現実は厳しく、辺境伯からはバッハが期待したような反応は還ってこなかった。
バッハにとってはガッカリだったろうが、おかげで我々はこのような素晴らしい作品を散逸することなく、享受できているのである。
その後もバッハは就職活動に力を注ぎ、1723年にはライプツィヒの音楽監督してケーテンを去ることになる。
そして、バッハはそのライプツィヒにおいて膨大な教会カンタータや受難曲を生み出し、創作活動の頂点を迎えることになっていった。
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