「箸中」は、元々は奈良県桜井市にある「箸墓古墳」から取った地名と言われるため、この地名の由来は「箸墓」から引いていきます。
「箸墓」の由来は、日本書紀の中にある話で
《孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が、大物主神の妻となった。
夫である大物主神は昼間姿が見えず、夜にだけ訪れる。
姫は、夫に姿を見せてほしいと頼んだ。
すると翌日、櫛笥(くしの箱)に入った小さな蛇となって現れた。
それを見て姫が驚いた為、大物主命は恥をかかされたと言って、三輪山に隠れてしまった。
姫は後悔して、陰部を箸で突いて自殺した。
だから人々は、姫を葬ったこの墓を箸墓と呼ぶようになった》(崇神紀10年9月の条)
ということです。
《姫が驚いて尻餅をついたら、運悪く箸が突き刺さって出血多量で亡くなった》という「事故死」説もあります。
また、箸は土師(はじ)の転化したもので、古代の豪族・土師氏と関係するともいわれています。
●箸(はし)墓伝説の真実
奈良県櫻井市箸中に、箸墓古墳(全長276メートル、後円部の径150メートル)があります。
『日本書紀』崇神紀10年9月の条に、大物主神の妻となったヤマトトトビモモソヒメが、夫の姿が蛇であることを発見して驚き、夫の怒りをかったことを悔やんで、箸で陰(ほと)を突いて死んだために、その墓を箸墓というとあります。
しかし箸で自殺するというのは、伝説とはいいながらあまりにも突飛で、合理性に欠けた行為です。
この箸墓の「はし」の語源について『「はし」は土師器をつくり、古墳の造営を司った「土師(はじ)」氏の「土師」に由来する』とする説があります。
しかし、土師氏と磯城地方との関係や時代的関係などについて、さらに検討を要します。
また、箸墓の所在する字「箸中」の地名は『大般若経奥書』(永保元(1081年)に「大和国城上郡箸墓郷内」とあることから「はしのはか」の転訛であろう、とする説があります。
この「はし」は、マオリ語の「パチア」、PATIA(spear)、「槍」の転訛と解します。
原ポリネシア語の「パシ、PASI」が、ハワイ語ではS音がH音に変化して「パヒ、PAHI(knife)、ナイフ・短刀」に、マオリ語ではS音がT音に変化して「パチア、PATIA(spear)、槍」となり、日本語に入ってP音がF音を経てH音に変化して「ハシ」となったものです。
つまり、同じ発音ですが「はし」は食事に使う「箸」ではなく、刃物だったのです。
通常、女性が自殺する場合に使用する刃物は「短刀、懐剣」でしょうが、短刀で自殺したのではあまりにも当たり前過ぎて「話題性」に欠けます。
「槍」を使用して自殺したというのが真実で「箸」よりも遥かに合理的ですし、決定的な真実味があります。
また『日本書紀』のこの条には
《悔いて急居(つきう)。即ち箸に陰(ほと)を撞(つ)きて薨(かむさ)りましぬ》
とありますが、この「急居(つきう)」はマオリ語の「ツキ・ウ」TUKI-U(tuki=pound,beat,attack;u=breastof a female)、「女性の胸(乳房)を打つ(刺す)」の意です。
さらに「ほと」は、マオリ語の「ホト」、HOTO(start,make a convulsive movement)、「衝動的に行動を起こす」の意です。
これらを総合しますと、この箇所は
「(ヤマトトトビモモソヒメは自分の行為を)悔やんで、衝動的に槍で自分の胸を突いて死んだ」
と解釈するのが正しく、またきわめて合理的です。
この『日本書紀』の原文には
《而悔之急居。急居、此云菟岐于(つきう)。即箸撞陰而薨》
とあり《急居、此云菟岐于(つきう)》の箇所は、分注となつています。
おそらく「はし」という音で伝えられていた言葉を「箸」と解釈し「ほと」を「陰」と解釈したため「つきう」を「急にどしんと腰を落とした」と解釈せざるをえなくなって「急居」の字を当て、その読み(本来の言葉の発音)を分注で示したものでしょう。
この例は『日本書紀』の編集者が、神話伝説の伝承に用いられた言葉が、発音は同じでも日本語とは違う意味であることを知らず、総て日本語で解釈したために犯した誤りの代表的な例ということができます。
また『古事記』のスサノオの、ヤマタノオロチ退治の条に
《肥川(ひのかわ)の上流から箸が流れてくるのを見て、人が住んでいるのを知った》
という記事がありますが、古代においては一般庶民が箸を使用することはなかったそうで、庶民よりも早く使用したであろう朝廷の官吏でも、彼らが執務した朝堂跡から箸が発掘されるのは、平安時代も中期に入ってからといいます。
そうしますと、この話は全くの創作か、あるいはこの「はし」も「ナイフ」か「槍」であった可能性があります。
この場合の「刃物」は、水に浮くわけですから青銅や鉄の刃物ではなく、木の柄に黒曜石の細刃を埋め込んだ「ナイフ」か、木の棒に黒曜石の刃先をつけた「槍」であった可能性が高いと考えられます。
ちなみに「倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)命」の名は、マオリ語の
「イア・マ・タウ・トト・ピ・モモ・ト」IA-MA-TAU-TOTO-PI-MOMO-TO(ia=indeed;ma=white,clear;tau=beautiful;toto=blood,bleed;pi=flow;momo=ingood
condition;to=set,calm)、「実に清らかで、美しい大和の地の血を流して(死んで)、手厚く葬られた(姫)」
の転訛と解します。
※ httpwww.iris.dti.ne.jp~muken 引用
※ httpwww.iris.dti.ne.jp~muken 引用
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