みそカツにしても、ヨソから来た人には概してあの「味噌ダレ」には抵抗が強いようで、東京から出向で転居して来ていた、以前の同僚も
「なんで名古屋って『みそカツ』とか『あんかけスパ』だとか、わざわざ料理を不味くしたがるの?」
などと、いつも怒っていました。
《元々は、串カツにこの地方の特産である米麹を使用しない味噌、いわゆる八丁味噌を使ったどて煮に浸して食べたのが始まりで、一部ではこの食べ方を守っている地域や伝統的な店もある。
一説には、とある大衆食堂で、客に出す寸前の豚カツまたは串カツを誤ってどて煮の鍋に落としてしまったため、客には出さずに賄いとして食したところ、美味であったのでメニューに加えたのが始まりとも言われる。
昭和20年代初頭の終戦直後の名古屋の雑踏の屋台で、一人の客が何の気なしにつまみで食べていた串かつを、どて鍋(もつを豆味噌で煮込んだ料理)のタレに浸して食べ、美味いと絶賛した。
そこに偶然居合わせた味噌カツの老舗の初代店主が、これを何とか商品に出来ないものかと試行錯誤し、昭和22年(1947年)、南大津通四丁目電停前に味噌カツの店「矢場のとんかつ」として創業したのが味噌カツ(当時は、ご飯茶碗に盛った白飯に3本の味噌串かつを出していた)の始まりである》
「『不味くする』って・・・
そういうの食べたことあるの?」
「食べねーよ、あんな気持ちわりーの。
だって不味そうじゃん・・・」
「じゃあ、実際はわからんでしょーが!」
「旨い訳ねーし、あんなの。
第一、見た目からしてあんな不味そうじゃー、喰う気しねーよ!」
などと、決め付けていました。
この人物は
「名古屋のコンビ二って、なんで納豆がねーの?」
「納豆なんて、売れんからでしょ。
ワタクシも喰った事ないし・・・」
「は?
納豆食った事がないって・・・」
といった調子で、なにかと
「まあ、名古屋はイナカだからなぁ・・・」
と、小バカにするのが口癖でした。
さらに「おでん」にも、文句を付けます。
「この前、コンビニでおでん買ったら
『味噌ダレにしますか?
カラシにしますか?』
て訊かれたよ・・・ 何でおでんに味噌なんだよ。
しかも関東煮の味が、ちゃんとついてるのに・・・」
「関東煮の味だけじゃ、名古屋人には淋しいからな。
ワタクシなど、おでんに味噌をつけるのは当たり前過ぎるから、わざわざ訊かんでも3袋くらいは入れとけ、ってなもんだが・・・」
「信じられん・・・なんでわざわざ不味くしてく喰わないといかんのか、名古屋ってとこは。
関東煮の味が淋しけりゃあ、カラシに決ってるじゃん、フツーは」
しかるに、この御仁も
「赤だしの味噌汁は旨い!
オレにもあれだけは、旨さがわかった」
などとホザいておりましたが。
で、ある時この男を
「旨いものを喰わせてやるから」
と無理に誘い出し、どて鍋(牛すじ、ゴボウ、こんにゃく等を名古屋の赤味噌と生姜、そして砂糖でじっくりと煮込んだ、甘辛の
鍋。要するに、名古屋風もつ鍋のようなもの) を食べさせると
「そうそう。
オレ、この有名な「どて」って
のが、一度食ってみたかったんだよ。
しかし見るからに、不味そうだなー」
とか何とか言いながら、満更でもなさそうな感じで食べていましたが。
また、奈良から出向で転居してきていた元同僚は、大阪から来たばかりの後輩に
「こっちへ来て、初めてトンカツ喰いに行った時や。
頼んでもおらんのに、カツに味噌が乗っとんのや。
何や?
この辛くて、不味そうなんは?
こんなん頼んでへんのにな、と思ったけどしゃーあないから我慢して食うたら・・・これが旨いんだ。
あれは・・・ホンマ
に・・・(遠い目)」
この人は
「ボクはこっち(名古屋)へ来て、もう3年になるんやけどなー。
毎朝、 女房に赤だし作らせてますわ。
もう赤だしの味噌やないと、飲んだ気がせえへんようになってなぁ・・・」
と、すっかり名古屋人にカスタマイズされておりました。
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