第1楽章だけでも約10分だが、チェンバロが大活躍する聴きどころは後半の3分以上に及ぶ。
これは、絶対に聴き逃してはいけない。
第5番は、チェンバロが独奏楽器として活躍するという、当時としては驚天動地の作品だ。
明るく華やかな第1楽章、どこか物悲しい第2楽章、そして美しいメロディが心に残る3楽章と魅力満載で、フルート、ヴァイオリン、チェンバロを独奏楽器とする協奏曲である。
第1楽章のチェンバロに、長大なカデンツァが与えられていて「音楽史上初の鍵盤楽器のための協奏曲」として、後代のピアノ協奏曲の出現を準備する画期的な作品となった。
このカデンツァに関して、楽器購入時にはこの初稿が書かれて境伯への献呈時にこの決定稿へ拡大された、というのが現在の定説のようである。
最後に作曲されたと見られる第5番については唯一、作曲の時期と動機をうかがわせる、かなり有力な状況証拠が残っている。
1719年、宮廷からバッハに大金が支払われた記録があり、その明細によるとバッハがベルリンまで、チェンバロを受け取りに行ったらしい。
購入されたチェンバロが高価であることから、バッハがそれ以前に一度ベルリンに赴いて、オーダーメードでチェンバロを作らせたのではないか、と考えられている。
新しいチェンバロを前にして、大オルガニストだったバッハが作曲の腕を揮っただろうことは、想像に難くない。
すでに完成していたと見られる初稿BWV1050aと献呈稿を比べると、有名な第1楽章のチェンバロ独奏部は献呈稿において初稿の約3倍の長さ(19小節→65小節)になっており、チェンバロのお披露目を意図した改変であることが想像される。
通常は、通奏低音楽器のチェンバロを独奏楽器群に加えること自体が独創的であるが、第5番はチェンバロの活躍が著しく実質的に音楽史上初の「チェンバロ協奏曲」と言える。
ちなみに、この2回のベルリン行きの際にブランデンブルク辺境伯に会う機会があったのではないか、という説も有力である。
※Wikipedia引用
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