2004/08/17

ニッポン男子体操・28年ぶり金メダルの快挙(アテネオリンピックpart3)

 メダルラッシュの続いた柔道競技だけが日本ではない、とばかり競泳の北島選手に続き体操男子団体も金メダルを獲得した。いつかの五輪では、柔道の3つのみの金メダルに終わった大会もあったが、今回は違う。

そもそも男子体操と言えば、かつてはニッポンの「お家芸」とも言われた種目であり、日本の五輪出場選手で個人最多金メダル獲得者も、体操の加藤沢男選手である。68年メキシコ大会と72年ミュンヘン大会の2大会で3個ずつ、76年モントリオール大会で2個と、併せて3大会で8個もの金メダルを獲得するという、とてつもない記録を打ち立てたほどだ。この加藤沢男選手だけでなく、当時はまさに「体操ニッポン」全盛時代といわれたのは、60年ローマ大会から76年モントリオール大会までの5大会連続して、男子団体では「」を独占し続けた事からも頷ける。

が、その「お家芸」であった体操も、米ソ冷戦のあおりを受けてボイコットとなった80年モスクワ大会を境に低迷時代に入り、84年ロサンゼルス大会から92年バルセロナ大会に至る3大会はいずれも「銅」止まりに終わったのを経て、96年アトランタ大会では、まさかの「10位」という思いもしなかった悪夢のような結果が待っていた。そして前回、2000年のシドニー大会では4位とやや持ち直したものの、2大会連続で表彰台を逃すという屈辱である。

この凋落の原因としては日本選手の質の低下ばかりではなく、かつて「体操ニッポン」と称された頃に比べると、チャイナを始めとして参加国が遥かに増えた事と、旧ソ連の分裂で有力選手がウクライナなどロシア以外の沢山の国に散らばった事などが挙げられよう。そうした世界の趨勢から鑑みれば「体操ニッポン復活」なんてのは夢物語かと半ば諦めていたのは、よもやワタクシ一人ではあるまい。

そうした経緯もあって

「今年は、かなり期待出来るメンバーが揃った!」

と前評判は高さにも素直に期待するわけにはいかず、金の最右翼と目されたガチガチの本命チャイナを始め、アメリカ、ロシア、ルーマニアと競合犇く中にあって

(何とかメダルを獲ってくれればいいがな・・・銀なら言うことないが・・・)

というのが偽らざるところであり、よもやチャイナを抑えて金を獲得するなどは失礼ながら「嬉しい誤算」と言わなければなるまい。

生中継は深夜時間帯とあって見逃したのは残念であり、実際の演技を見ていないから感想などの類は何ひとつ書けない。体操競技はこの後も個人総合・6種目の種目別が行われ、こちらの方でもメダルの期待が掛かるが、既に「団体総合・金」という最大の大仕事をやってのけたメンバーたちには、引き続き「金メダリスト」としての誇りを背負って、堂々たる伸びやかな演技を見せていただけるのであろうと期待しているのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿