2004/08/07

リヒャルト・シュトラウス 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』(オープニング)



 Classicに接する切っ掛けとなったのは、高2の時にワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー・第一幕への前奏曲』を初めて聴いて、あのスケールの大きな音楽に感銘を受けた時だった。しかしながら、この頃は直ぐにロックにのめり込み、Classicの方は長続きはしなかった。

2 度目の衝撃は、数年後の事だ。19歳の時に初めて聴いたR.シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』の、あのオープニングテーマのカッコ良さには、強烈な一目惚れならぬ「一聴惚れ」をしてしまった。

某有名(悪名で?)評論家の表現を借りるなら

「喉元から手を突っ込まれ、心臓を鷲掴みにされ揺さぶられたかのような強い衝撃」

だったといっても、決してオーバーではない(やっぱオーバーかw)

西洋哲学を専攻する学生にとって、哲人ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」(ペルシャの宗教家・Zarathustra=ゾロアスターはこう 語った)は馴染み深いものだったが、実はこの素敵な曲を聴く前から

「ナントカいう作曲家に、同じタイトルの音楽があるらしい・・・」

という事くらいは、知識としては知っていた。

(あんなお堅い哲学書を、一体どうやって音楽に出来るんだ・・・?
どうせタイトルだけを拝借して、中身は全然関係ないこけおどし的な音楽なんだろ・・・)


(わけのわからん三流音楽家が、哲人ニーチェを冒涜するんじゃない!)

などと勝手に決め付ながらも、やはりそれへの興味は捨て切れなかった。しかしながら、なんという作曲家の作かわからないままに、無為なる月日の経過を待った。

当時のワタクシの頭には

1)ニーチェの哲学書としての『ツァラトゥストラはかく語りき』
2Classic音楽の『ツァラトゥストラはかく語りき』
3)R.シュトラウスという(それまであまり名前も聞いた事のなかった)作曲家の素敵な曲(この時点では、まだ『ツァラトゥストラはかく語りき』(以 下、『ツァラ』と略す)という曲のタイトルは知らず)

という「三つの『ツァラ』」がバラバラに存在していた。

それがしばらく後に、ようやく(3)のR.シュトラウスという、実は有名作曲家のあの一聴惚れしたカッコ良い曲が(2)の事であり、そして(1)をテーマに書かれたものであるという、積年疑問に感じていたトライアングルが遂に完成を見たのである。

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