2005/05/18

春日大社(2005GWの古都・特別拝観part1)

花見で京都・奈良へ行く予定だったが、この年は引っ越し後でバタバタしていた事もあり、東京で我慢をする事になった。

 

それから1ヶ月が経ち、GWの頃にはようやく落ち着いて来たため、改めて京都・奈良行きの計画を立て始める。とはいっても、元々話だけは散々に聞いていながら、これまで行く事の出来なかった長谷寺のボタンは何としても一度は見ておきたかったので、桜のシーズンがずれたのを逆手に取って、これをチャンスに活かす事にした。幸いにして、この年はカレンダーに恵まれたGWであった。2日に休みを取る事で7連休という長期休暇を作る事が出来たため、夏服などの荷物発送を兼ねて前に済んでいた愛知の自宅へ寄る予定を含めて、34日の予定を立てた。

 

これまでは気軽に行っていた京都や奈良だったが、東京からはなにせ遠い。名古屋京都が、のぞみで片道40分くらいで行けたのが、東京からは約2時間20分と3.5倍の時間を要し、金額もこれまでは往復で1万円も掛からなかった(ビジネス指定の回数券なら、往復で8600円)のが、今度は25千円以上も掛かってしまう。それだけに、ある程度まとまった日数滞在しなければ、割高になってしまうのだ。

 

そんなこんなで迎えた当日・・・元々朝に弱い体質だけに、6時半頃に起きるのがやっとというテイタラクであり、混雑は覚悟していたものの大型連休が始まって3日目の出発だったせいか、自由席で余裕を持って座る事が出来た。これまでが40分程度だっただけに、さすがに2時間20分は長く退屈極まりない時間に感じて仕方がない。10時半頃に、ようやく京都に着いた。

 

冒頭でも触れたように、京都からはしばらく遠ざかっていておよそ2年ぶりの訪問だけに、車窓から京都駅が見えて来た時はさすがに懐かしい感慨に誘われたが、すぐに奈良へ移動する事にする。京都駅前のホテルに荷物だけ預け、駅に戻って近鉄でゴトゴト揺られる事およそ1時間で奈良に到着。こちらは、実に4年ぶりと御無沙汰だった。

 

まずは東向き通り商店街(道の東側が興福寺境内のため、かつては商店民家を建てることが許されなかった。そのため通りの西側にのみ商店が建てられた事で、どの商店も「東向き」になった事が、このヘンテコな名前の由来らしい)の中にあるラーメン屋に入り、ギョーザを肴にジョッキで喉を潤しラーメンで腹ごしらえしてから、お目当ての春日大社へと向かう。過去に2度、訪ねた事のある春日大社だが、不覚にも神苑という庭園がある事を知らずに見落としていたのだ。

 

<藤原不比等が710年(和銅3)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀ったのが始まり。武甕槌命は白い鹿に乗り現れたそうで、以来、奈良の鹿は保護されています。  平安中期からは、興福寺が管理。明治の廃仏毀釈により、神社として確立します。本殿4棟は国宝。61の摂社・末社>

 

 

奈良公園から飛火野をノンビリと散策し(といいたいところだが、実はトイレに行きたくなってジリジリとしていた)神苑に着いた頃には雨足がやや強まり、本降りになって来ていた。

 

<神苑は春日大社の参道途中、万葉の「春日野」の一画に広がる、わが国でもっとも古い歴史を持つ万葉植物園である。万葉集に詠まれた植物約300種を栽培し、それぞれに代表的な万葉歌が添えられている。春日大社のシンボルの藤20品種、約200本を系統的に栽培する「藤の園」や「椿園」、「花しょうぶ園」も加わり、散策ルートは変化に富んでいる。

中央の池中の島に、イチイガシの巨樹が枝をひろげている。樹齢はわからないが、その巨大さは古えの春日野のありさまを偲ばせる>

 

と公式Webページにもある通り、お目当ては有名な藤であり大いに期待したのだったが、どうしても写真などで見ていたイメージが強いせいか、期待に対してイマイチという感じは否めない。

 



「神苑」自体からして、どうしても同じ名の平安神宮・神苑辺りと比べてしまうだけに、ややスケールの小さい感は否めないものの、こちらはこちらで地味ながら「滋味」に通じるような良さがあった。

 

入り口付近は専ら白野田藤ばかりで、あの藤特有の強烈な色香が鼻腔を刺激する。




 この辺りの白野田藤の美しさに比べ、紫の方の藤は花の付きがイマイチという感じだったが、さらに「藤の園」の奥へと進んでいくと、藤棚が続く道へ繋がっていった。

 

棚から垂れ下がる藤の花の付き具合は、それだけに限って言えばかつて見た地元愛知県の津島市にある、天王川公園のダイナミックさに比べれば見劣りがしたが、こちらの方はバックの春日山を借景に取り入れ、自然と一体となって歴史を積み重ねてきたかのような、全体の景観の素晴らしさは並ぶものがない。

 


桜にしろ藤にしろそうだが、花そのものにたいした違いはないのだから、やはり背景や周辺との調和が花の美しさをより一層引き立てるのであり、そういう点が京都や奈良が他の地とまったく違うところであろう。

 

神苑を出て、さらに春日大社本殿へと向かう長い参道を歩いているうちに、雨足は益々強くなって来ていた。本殿(国宝)まで来たのは二度目だが、前回来た時はお盆の中元万燈篭(節分とお盆に石灯籠、釣灯籠あわせて約3000基に灯りが灯る)の時期だったから、雰囲気的にはまったく違う。

 



ひたすら暑かった真夏のせいか、藤棚がある事さえ意識がいかなかったほどで、万燈篭に灯が点った夜間の美しさはさすがに幻想的と言えたが、花のない日中はどちらかといえば地味な感じは否めなかったものだった。

 

それにしても、棚からカーテンのように垂れ下がった藤の花は見事だ。しかしながらスケジュールを考えると、いつまでも藤の美しさに見惚れているわけにはいかなかった。

 


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