2005/05/26

神の子?(大学受験シリーズpart15)

 シリーズ最終回を飾るのは勿論この人、マザーだ。

 

センター1次は98%超えという驚異的な得点で、30万以上の受験者(同学年人数は、受験者の3倍強の100万人以上)中、堂々3位(女子ではトップ)に着けた(この10数年後に『A高』からは、800点満点中795点で全国トップが出た)


 マザーの受験は『理』と、私立はタカミネと同じ『K大・医』、『N医科大・医』で、当たり前だが総てに合格。この年の『理』の県内合格者は『旭丘』、『東海』の2人ずつと『滝』の1人という、当時の県下の高校ビッグ3の中からの5人に、マザーを加えた6人だった。無論、彼女の凄さは充分に知っていたから『理』であろうとも合格は間違いないものと見られていたが、改めてあの「狭き門」の新聞発表を見た時は、当然あると思ったその名を見付けたのだが


 (やはり、さすがだ・・・)


 と、思わずにはいられなかった。


 かつて『B中』時代に、突如として現われて来たヒムロにもかなり驚かされたが、マザーに対する驚きは到底その比ではない。


 「世の中には、とんでもないヤツがいるもんだ・・・」 


 と心底、呆気にとられたものだった。


 このマザーの凄いところは、単に優秀な成績だけに止まらない。一旦手をつけた事には、例外なく短期間で目覚しい成果を残して来た事だ。1年足らずで珠算2段、暗算3段しかり。興味を持った速記もあっという間にマスター。通学電車を利用しての学習のみで理系クラスに属しながら、いつの間にか獲っていた英検準一級しかり、といった具合だ。


 センター全国2位を祝福された時も


 「まだ、上にいるからねー」


 と常に目標を高く設定するところからして、発想が違っていた。


 これらは、いずれも偶々会話の中から出てきた話であり、決して自分から自慢気に吹聴するようなタイプではない(本人にすれば、この程度は自慢になるとも思っていなかったろうが)だけに、まだまだ他に誰も訊いてない凄い戦歴があったかもしれない。それら数々の試験で、おそらく一度も失敗した事がないのではないかと思われた。

 

元々、典型的な天才一家である。


・父親・・・県立A高校 ⇒ T大医学部(医学博士)、N大病院医師(脳神経外科医?)
・母親・・・県立I高校 ⇒ N大医学部(医学博士)、N赤十字病院医師(消化器科)
・兄 ・・・私立T高校 ⇒ T大医学部在学中
・本人・・・県立A高 ⇒ 理Ⅲ合格
・弟 ・・・私立T高校在学


 といった具合で、兄もT高校から現役で理に合格していた。


 さらに『T高校』在学中の弟は、マザーによれば


 「アイツは兄弟で一番天才だから、私なんかとは全然比較にならんレベル・・・」


 と呆れていたくらいだから、なんとも驚きだ。


 ところで四天王がトップに立った回数は、それぞれマザー12回、御曹司7回、カトー4回、コンドー2回だった。数字だけみれば、他の3人の合計に匹敵するマザーが圧倒している。


 進学指導の教師は


 「(ムラっ気が多く、実力の計り難いコンドーを除き)タカミネとカトーは、能力的にはマザーと遜色ない」


 と言っていた。マザー以外の男子の3人が、どれもガリ勉というイメージからは懸け離れていたのに比べ、唯一努力の塊のような彼女が結果的に3人を圧倒したのは、やはり地道な努力の差にあったのだろう。


 そのマザーとは、一体どのような人物か?


 外見は、やや小太りで決して垢抜けているとは言い難い、どこにでもいそうなイナカの女学生である。そして気取りのまったくない、歯に衣を着せぬ大胆かつ砕けた口調からして


 (これが本当に、あれだけの天才なのか・・・?) 


 と、何度も不思議な気がしたものだった。

 

 卒業後のマザーは、どうなったか?


 誰もが気になるところだけに色々な方面から噂を耳にしたが、その殆どが以下の二つに集約されていたから、ほぼ事実に近いと思われる。


T大大学院に進み、医学博士号を取得して研究を続けている
・『H大(米)のメディカルスクール』に留学した


 恐るべき事に、どちらも充分に信憑性があった。おそらくは開業医などではなく、研究者の道に進んだのは間違いない。

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