いよいよ、大学受験シーズンの到来だ。
志望は、X大学。文学部は、あの文Ⅲに次ぐ難易度だ。
担任からは
「X大は、理想が高いなぁ。文Ⅲに迫る難易度とも言われているからなー。怠け者のオマエには無理じゃね?」
「いや、試験ってのは、案外やてみなきゃあわからんと言うし・・・」
「まあ、そうはいっても確率は半分以下かな。H大やN大なら、まず堅いところだろうが。その辺じゃあダメなのか?」
担任から「X大は無謀」の烙印を押されたが、1度こうと決めたら梃子でも動かない。 いかに説得されようとも、X大への挑戦の決意は固かった。
その後、父兄懇談会に出た母からも
「X大は危ないって事だから、N大にしなさいよ。N大なら文句なしの一流だし、家からも通えて楽じゃないのさ。
先生からも
『N大なら、まず合格は疑いなし』
って、お墨付きを貰ったんだから」
それを訊いた父も、珍しく口を挟んできた。
「オレはもう長年民生委員をやっとるから、国勢調査などからこの地区の情報は殆んど耳に入ってくるが、この辺りの子は男は『A工』生、女の子は『A商』生が多いんだ。
『A東』に行っとる家なんてのは、親が自慢気に
『ウチの子はA東で』
なんて話しておる。
ましてや、オマエのような『A高』生なんて、実際少ないもんよ。
オレなんかは、いつも
『お宅の子は優秀で・・・』
なんて言われててな」
と、珍しく褒め始めた。
「大学だと『N山大』というのはちょくちょくと訊くが、さすがに
『ウチの子は、N大生で・・・』
なんて話は、あまり聞かんわな。やっぱりN大ってのは、なかなか入れんもんだ。
それで、担任が
『N大なら、まず間違いない』
と言っとるなら、なにも無理して遠くてリスクの高いX大なんか受けんでもええだろう・・・」
ドケチオヤジは下宿代を惜しんでか、珍しく説得に熱が入っていた
(* ̄m ̄)ブッ
「まったく同感。先生も言ってたけど、N大の合格者って現役が半数以下で、半分以上が浪人生らしいわ。みんなが2浪、3浪して入るようなところに、折角現役で入れるって言うのに・・・」
両親が、このように説得する気持ちは良くわかる。
なにしろ、愛知県(というか東海地方)における『N大』ブランドの威光たるや、他地区の『東大』に匹敵するか、それ以上のものなのだ。
異常なまでに地元志向が極めて強い名古屋人、愛知県人にとっては『N大生』こそが、いまいち現実味のない『東大生』以上に、実質的な最高のステータスシンボルなのであった。
「でも、X大はN大などは比較にならん位にレベルが高いし、オレがX大に入ったら嬉しいだろう?」
「そりゃ、入れたら大したもんだが・・・しかし、落ちたらどうする気なんだ?」
「まさかマッハを真似て、浪人しようって言うんじゃあないだろうね?」
マッハの浪人時代、散々金と神経を擦り減らした苦い体験は両親の心にしっかりと刻み付けられていただけに、戦々恐々といった態である。
「ま、マッハだって面倒みたんだから、アンタも一浪までは仕方がないけどねー」
「バカ言え!
にゃべは、なにも浪人などせんでも折角、N大に入れるんだから、浪人する意味がないわ」
「ま、オレだって浪人は嫌だが・・・」
「そんなら、なおさらN大にしとけ。わざわざそんな遠くへ行かんでも、N大なら家から通えるんだからな・・・」
特にN大信仰の強いオヤジは、一歩も譲らない構えだ。
かくて当然と言えば当然だが、周囲からはこぞって地元のN大を奨められるにゃべである。
当時の国立受験は専願だっただけにだけに、その中でのX大受験は確かに「リスクの高いチャレンジ」である事は確かだったが、それまで「試験」と名の付くものは、中部最難関と言われた私立『T高校』に合格したのを始め、3連勝中だった事もあって
(オレは本番の試験に強い男だから、どんな難関だろーと落ちるはずはない・・・)
などと、相変わらず根拠のない自信に支えられていた。
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