2005/05/11

耳成山

 大和三山(畝傍山・耳成山・天香具山)といえば、古くから万葉集を始め様々な歌にも詠まれた有名な山です。

耳成(みみなし)の、池し恨めし我妹子(わぎもこ)が、来つつ潜(かづ)かば、水は涸れなむ(原文: 無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸)
「耳成山の池が恨めしい。あの娘が水に沈んだら、枯れてくれれば良かったのに(そうしたら、あの娘は死ななくてすんだのに)

昔々、三人の男たちが一人の娘を好きになり求婚しましたが、その娘は思い悩んだ末に池に身を投げたそうです。 三人の男たちが、嘆き悲しんで詠んだ歌(三首)の一つです。

そもそも「耳成山」というユニークな名前が、どこから来たのか?

《耳成山は三山の中で最も低いが、平たい円錐形で均整が取れた山容である。   畝傍山と同じく元火山の残塊で、顔に例えて頭の部分だけが残り耳がなくなったように見えるのが、山名の由来という》

また、こんな物語もあります。

《耳成山に、耳無山口神社があります。京都大原の良忍上人がある時、大和の国に立ち寄り「三山」の謂れを尋ねる。里の女が答えるにはその昔、香具山に住んでいた男が二人の女、unebimiminashiを同時に愛した。二人の女は「わたしだけを愛してよ」と求めて、ついには女同士で争いあう・・・

『万葉集』で大和三山の三角関係を詠った、中大兄皇子の歌に

香具山は 畝傍雄雄しと 耳梨と 相あらそいき 神代より 斯くにあるらし 古も 然(シカ)にあれこそ うつせみも 嬬(ツマ)を あらそふらしき
(香具山は、畝傍山を愛しいと思い耳成山と争った。神代からそうだったらしい。昔もそうだからこそ、今も愛する人を争うのだなあ)

香具山と 耳梨山と あひし時 立ちて 見に来し 印南国原(イナミクニハラ)  (香具山と耳成山が争ったとき、大神が立って見に来たという印南国原はここなのだな)

があり、「畝傍雄雄し」く香具山と耳成山を争ったという解釈だけではなく「畝傍を愛()し」て香具山と耳成山が争ったという解釈も出来る事から、どれが女性か男性かは明らかにされていないようです。

香具山と耳梨山と あひし時 立ちて見に来し 印南国原

という歌の原文『高山与耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良』を見ると、天香具山は『高山』、耳成山は『耳梨山』と記述されている事がわかります。

●ポリネシア語による解釈
耳成山は、きれいな円錐形の山で山中にくちなしの木が多く、この「みみなし」は

(1)
「くちなし」にかかわる山名
(2)
「ミミ(氏族の首長)」を失った氏族の本拠の山(?)

という説があります。

氏族の首長名に付された「ミミ」は「川の水利を管理する者」の意味と解します。

この「みみなし」は、マオリ語の「ミミ・ナチ」、MIMI-NATI(mimi=stream;nati=to pinch)、「川(と川)に挟まれた(山)」の転訛と解します。

耳成山の東南から西北にかけての山麓には米(よね)川が流れ、南の山麓には山麓に接する沼から西北に流れ出る無名の(地図に表記のない)小川が流れています(この小川は、山麓を離れるとすぐに米川と合流し、米川はやがてさらに北を流れる銭川と合流して寺川となり、末は大和川に合流します)
出典 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

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