2005/05/06

落ちこぼれ組(大学受験シリーズpart4)

『A高』といえば、地域ではトップの名門進学校だけに、周辺市町村である幾つもの市町村から選りすぐりの精鋭が集まって来ていた。それだけに競争は激しく、中学時代までは優等生で通っていたのが、あれよあれよという間に落ちこぼれていった、という悲惨なケースを挙げていけば、それこそ枚挙に暇がない。


にゃべと同じ『B小』~『B中』組ではヨシハルが、さしずめその代表格。小学校低学年辺りまでは常にトップ10に位置し、威張り返っていたヨシハル。中学になってからはやや落ちたというものの、それでも全体でも20番前後に位置していた。ところが『A高』では、噂によればナント学年360人の中で300番以下にまで落ちていたという事で『M大』への進学がやっとと訊いた時は、ビックリした。


しかし「下には下」がいるもので、もっと悲惨なのが真紀と同じ『C中』出身のナカムラだ。1年の時には同じ『B中』に通って来ていたが、ヒムロの転校前まではにゃべ、真紀、ゴトーらとトップを争っていたし、『C中』でも真紀、ゴトーの3人で熾烈なトップ争いを繰り広げてきたという秀才であった。


生徒会長の座こそ人気者のゴトー(副会長は真紀)に譲ったものの、その秀才ぶりは学校中知らぬものなきほどだったらしいが『A高』ではヨシハルよりもさらに酷い事になっており、330-340番前後にまで落ち込んでいたらしい。初回の試験で初めてとなる三桁の順位を経験し、その後は次第にズルズルと後退。そのショックから、軽度のノイローゼになってしまい、遂に最後まで立ち直る事が出来ず、結果は浪人。


田舎町の中学では「ン年に一度の天才」と言われたらしいサラも、本人にとっては信じられない200番台後半に低迷し、塾に通って頑張っても真ん中よりは上に出る事は出来なかったとか。


「やっぱり都会の連中は、学力が違うわ」


とボヤキつつ、結局『A教育大』の合格すら叶わず、浪人生活を送るハメに。

 

「あんなヤツでも『A教大』卒で教師となれば、事情を知らない生徒にはそれなりに尊敬されるかもな。そういえば、中学の時の担任だったガンゾーも『A高』で落ちこぼれて『M大』出だったもんなー。あんなのに教わる生徒こそ、いいツラの皮だぜ」 


 などと、にゃべやムラカミらの失笑を買っていた ァ'`,'`,'`,'`,() '`,'`,'`,'`,'`,

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