2005/05/15

受験オタクの大名受験(大学受験シリーズpart9)

エリ

併願可能な現在とは違い国公立は一学部しか受験できなかったため、滑り止めとして、複数の私大を受験するのが一般的な傾向だった。

 

病的なほどに、試験嫌いのにゃべなどは

 

(国公立試験の二度だけで、もうたくさんだ)

 

というのが本音ではあったが、浪人生活の地獄を味わわないためには、確実に受かりそうなところを最低一つは受験する必要に迫られ、有名校を一校だけしぶしぶ受験した。

 

ところが世の中には奇特な御仁がいたもので、元々受験が好きなのか、或いは生涯唯一の実力試しの機会との意気込みからか、4つも5つもの大学を受験するという気の遠くなるような御仁も、少なくなかったようだ。そんな、マニアックな「試験オタク」の代表格ともいえそうなのがエリである。

 

同級生の中で、その名を知らない者がいないほど彼女が有名なのは、実家が大きな形成外科病院だったためと、エリの父親である院長が非常に「怖い先生」として、有名だったためだ。幸いにして、自分こそ形成外科のやっかいになる事はなく済んだが、噂では

 

「先生のいいつけを守らないと、入院患者でも容赦なく病棟から追い出される」

 

とのことで「ヤブ」としても、その名を馳せていた。

 

そんなわけで、入学当初より「ナカノ病院の娘」で有名だったエリの名が、学年全体に広く知れ渡るようになったのは、何といっても2年生最初の定期考査で学年トップに輝いた時だ。

 

世間では「鬼の院長」もやはり父親、この出来の良い愛娘には甘かったか

 

「トップになったら、ヴィトンでもエルメスでもなんでも買ってやるぞ」

 

とニンジンをぶら下げられたのが、この好結果の原動力になったらしい、というのが専らの評判である。もっとも、いくら甘いエサをちらつかされたはいえ、本当にトップを取ってしまうところが、彼女の潜在能力だ。

 

外見は美少女タイプからはほど遠く、見るからに意思の強そうなやや上がり気味の目に象徴されるルックスは絵に描いたようなオテンバ娘で、さすがに気位は高く、あのお嬢とは最も仲の良い友人として唯一、厳しくモノが言える点もあって女学生からはある種の尊敬と、男子学生からはその150cmもない小柄な体が、ある種の畏怖をもって見られてもいた煙たい存在でもあった。

 

私大の受験が終わり、受験勉強などは一切無縁なだけに暇を持て余していたにゃべは、連日新聞に掲載されてくる各大学合格者氏名を入念にチェックしていた。


まずは2月の初め頃に、新聞紙上の合格発表で『A高』トップを飾ったのが、このエリだった。しかも、県内に合格者の2人しかいない『S女子大』に名前が載っていたのは実に目立った。


(ほー、『S女子大』とは・・・さすが医者の娘は、受験先が違うわ)


と感心したところは、実は後に続く驚きのほんの序章に過ぎず、この後も『F女学院』にその名を見つけるに及び


(オイオイ・・・有名お嬢様大学は、全部受けてんじゃねーか?)


と思わず苦笑いしたものだが、この辺りはまだまだ序の口であろうとは・・・


その後、連日のように『TJ大』、『ICU』にも、またしてもその名が。


(ありゃりゃ? 

またナカノが、出てやがるぞ・・・)


こうして新聞紙上で確認しただけでも、6大学7学部ほど。これだけでも相当なものだが、これらはあくまで新聞発表分のみで、後に判明した未発表分の『K大』、『W大』、『J大』の3つを加え、計8大学10学部である。


この年は同じクラスだったから、1月末から卒業式まで1ヶ月近い受験休みを取っていたのは知っていたが、その間母親とともに赤坂プリンスだかオークラホテルだかに、滞在していたらしい。不慣れな東京では、ハイヤーを雇って受験会場まで乗り付けていたという噂も、あながちデマでは片付けられなかったかもしれない。いずれにせよ、普通の学生では考えられないような「大名受験」であった事だけは、間違いない。

 

しかしながら、受験マニア・エリが密かに狙った本命(?)『T大・文』の合格者に、その名がなかったのは当然かw

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