まだ世間では、正月気分の抜けきらぬ1月末、「大学入試センター試験」が行われた。
国公立大学を目指す全国の受験者は、総勢30万人強。その中の一人に、にゃべも含まれていた事は言うまでもない。土・日の2日間に渡って行われた、この試験翌日の月曜日以降、しばらくは校内もこの話題で持ちきりとなった。
各新聞で
<80%以上の高得点者>(旧帝大合格ライン)
とされた一割弱の約3万人の中には、当然の事ながらにゃべも含まれていた。
その後、学校から配布された「合格ライン指標」では、X大学は約85%-86%がボーダーとなっており、85%のにゃべは微妙なラインに位置していた。
『A高』では、このセンター試験直後に「80%以上の高得点者」に名を連ねた60人の名が発表されたがその結果、驚くべき事実が判明した。
トップのマザーが「98.3%」という化け物じみた高得点で、ナント全国3位(女子では全国1位)に食い込んでいた!(この後、十数年後には『A高』生が80%満点中79.5%で、全国トップになったらしい・・・この年は、さらに『J高』の学生が全国3位と、愛知の学生が躍進)
続いてタカミネが94%台、さらにはカトー、コンドーも90%を超えていた。
1月末から2月末にかけて、私立大学の合格発表が相次いで行われた。
大の試験嫌いのにゃべが受けたのは『W大』文学部。国公立センター試験だけでも2度受けなければならないため、本来であれば私大受験は回避したかったところだが、落ちる可能性もあった『X大』だけでは浪人リスクがあったため、しつこい教師の勧めもあって渋々受けたというのが真相だった。
担任からは、同じ私大最高峰の『政経学部』チャレンジを奨められたものの、東京嫌いとともに試験嫌いから、国立の『X大』一本に絞りたいところだったが、周囲の勧めもあって「生涯一度の経験だから」とも思い直し『W大・文』も受験した。
結果は・・・合格。
本命はあくまでも『K大』だったが、それでもやはり合格通知を手にした時は
「これで、ひとまず浪人だけは免れた・・・」
と、やはり安堵感が込み上げて来た (* ̄ー ̄)y-~~~~フ~
地元最大の有力新聞の県内版には、2月から連日各大学の合格者発表が掲載されていた(今では考えられないが、当時は当たり前のように掲載されていた)
新聞発表の各大学合格者はほぼ漏れなくチェックしたものの『慶應義塾』、『早稲田』、『上智』など、合格者氏名の新聞発表がない大学もあった。
合格者の最も多かったのは地元名古屋の『南山大』で、全体のほぼ1/3の100名以上が合格した。
次いで京都の『立命館大』が約60人、名古屋の『名城大』が約50人、『愛知大』が30人前後で続く。
国公立大2次試験を前に、卒業式を終えた3年生。色々あった高校生活だったが、にゃべもどうにか無事に卒業する事が出来た。
「本当に高校を無事、卒業できるのか心配だったよ・・・大学を卒業するまでは親の責任だと思っているから、たとえお父さんが何と言おうとそこまでは私が面倒を見るよ。その代わり大学卒業後は、何をするにせよもう面倒は見ないから、学生のうちにせいぜい好きな事をしておく事ね。自分の責任範囲を良く考えてね・・・」
というのが、まもなく家を出ようとしているにゃべに対する母の口癖であった。
卒業の3日後。いよいよ、受験最大のハイライトとなる「国公立2次試験」が行われた。
そして3月半ば頃から、お決まりの悲喜こもごものドラマが各地で演じられる中、にゃべは大方の期待と予想を覆し(?)、見事『X大』に合格した。
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