<三門は寺院を代表する正門であり、禅宗七堂伽藍(勅使門、山門、仏殿、法堂、方丈、鐘楼、経堂、浴室)の一つです。山門とも書き、仏道修行の悟りの内容を示す空門、無柏門、無作門をも意味しています>
<南禅寺の三門は別名「天下竜門」ともいい、上層の楼を五鳳楼と呼びます。日本三大門の一つで有名です。
開創当時のものは、永仁3年西園寺実兼の寄進によって創立され、ついで応安年間新三門に改築されたが文安四年の火災で焼失しました。現在の三門は、藤堂高虎が寛永5年(1628)に大阪夏の陣に倒れた将士の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。また、歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名です>
先に見た知恩院とともに「京の三大門」の一つである。並べて比べるわけにはいかないからなんとも言えないところだが、印象としては知恩院三門の方が幾分、大きかった感じがした。
南禅寺の水路閣は何度も観た事があったが、相棒の方は京都が初めてだから是非この「名物」を見せておこうと、境内の一番奥まで進んでいくと案の定感激した様子であった。
<水路閣は、この疏水事業の一環として施工された水路橋で、延長93.17メートル、幅4.06メートル、水路幅2.42メートル、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つ。毎秒2トンの水が流れています。沿線には社寺が多く点在しているため、建設当時は批判も多く環境を壊さないような配慮から、南禅寺境内に当時では画期的な異国風建造物の水路閣を設けたが、今日ではそれが歴史的な風土に溶け込んだ景観となっています。
西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計・施工された、土技術史上極めて貴重なもの。昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として、京都市指定史跡に指定されました。緑に包まれた水路閣の水路は、毎秒2トンの水が流れている>
<南禅寺の境内に、苔むしたようなレンガ造りのアーチ式橋がある。琵琶湖から引いた水を通している疏水支流の水路閣で、一世紀余を経てくすんだ色合いは、なかなかに風格がある>
<明治21年に造られた当時、古寺の伽藍とは違和感があるという事で、かなりの反対や反響もあったようだ。まさに優れたものが時代という衣装をまとって、骨董としての価値を高めるように色が落ち着き、今となっては見事に景観に溶け込んでいる。元々、京都は異文化を上手に取り込んで、京都的ともいうべきものに変化させるのが得意なのである>
Webからの引用だが、まさに水路閣を巧く表現した一文である。
「この上を、琵琶湖疎水が通っているんだぞー。そこまで上がる人は、あまりいないけど・・・」
「へー、それってら見られるの?」
「勿論、見られるよ・・・」
「観たい観たい」
ゲンキンなもので、あれだけ疲れたといっていたにも関わらず、スタスタと石畳を上がっていく相棒であった。
南禅寺には南禅院庭園や、小堀遠州作庭で「虎の子渡しの庭」として名高い方丈(清涼殿)庭園も必見ものだが、この日は既に夕方になっていたので残念ながら観る事は出来なかった。一人ならば、京都駅まで歩いて帰っても良かったが、相棒の方は慣れない強行軍ですっかりぐったりとしていただけに、蹴上から地下鉄で京都駅へ。駅地下飲食店街で夕食を取り、漬物などの土産を買った相棒が新幹線乗車口に消えていくのを見届けると、コインロッカーから荷物を取り出し、この日の宿となる大和八木へと移動した。
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