2日目。
この日は朝8時に岡山から上洛して来た連れと京都駅で落ち合い、JR山陰線で嵯峨嵐山へ移動する。天気が心配されたが、予報通り明け方までに雨が上がり、朝から薄日の射すまずまずの天気となった。
京都駅から嵐山までは電車で20分とは掛からないが、それでもいつも感じるように嵐山の地に降り立つと、明らかに空気が美味しく感じる。特に、比較的朝の早い時間帯だけに尚更だった。
嵯峨嵐山駅から歩く事およそ10分で、大本山天龍寺塔頭「宝源院」に到着した。普段は非公開ながら、春の特別公開でこのGWの時期だけ拝観できる寺社は幾つかあるが
<江戸時代の名所案内「都林泉名勝図絵」に紹介された名庭。嵐山を借景とする「獅子吼(ししく)の庭」は、格別な趣があります>
という、謳い文句に釣られて来た。
<庭園は天龍寺開山夢窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山を巧みに取り入れた回遊式枯山水庭園。この庭園の大きな石は「獅子岩」と名づけられており、獅子の姿が目に浮かんできます。また、この庭園は江戸時代の京都の名所名園案内記と称すべき『都林泉名勝図会』にも掲載された名園。春は新緑、秋は紅葉と1年を通じて目を楽しませてくれます>
とあるが「破岩の松」、「碧岩」や「雲上三尊石」など、随所に配された苔生した巨大な石、蓑で作られた「蓑垣」、「豊丸垣」、石を敷き詰めて大海原を表現したような「苔海」と「舟石」、絨毯の様に敷き詰められたダイナミックな苔など、新緑の嵐山の山々をバックにした回遊式の規模の大きな枯山水庭園は見所が尽きない。
後ろ髪を惹かれるような思いで「宝源院」を出て、再び天龍寺参道へ戻り、今度は「天龍寺」拝観受付の前に来ると、いつの間にか修学旅行とおぼしき学生たちで長蛇の列が出来ていた。
<天龍寺は、暦応2年(西暦1339年)、後嵯峨天皇の亀山離宮のあった場所に、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため建立された禅寺。開山は夢窓国師。京都五山でも格式「第一位」に位置する。足利尊氏は、この寺の造営資金獲得の為、幕府公認・貿易船「天龍寺船」を運航させたといわれている。天龍寺は、世界文化遺産に指定されています>
<現在の天龍寺・境内には総門七堂伽藍が建ち並んでいますが、かつては室町時代の五山十刹の第一に列せられる大寺院でした。明治時代頃の度重なる火事で、当時の建造物はほとんど焼失しております。現在の諸堂は、明治時代に再建されました。夢窓国師の作庭「曹源池庭園」は焼失を免れました>
天龍寺の拝観はこれまで3度ほどあったが、今回の目的は「春の文化財特別公開」のひとつで、法堂(はっとう)の天井に描かれた「雲竜図」を拝むことである。
<法堂の天井一面に、竜が描かれている「雲竜図」は、縦12・6m、横10・6m。青色の大きな円の中に墨で竜や雲、炎、円の外に渦巻く雲などを描いている。元々は、明治32年に鈴木松年画伯によって描かれたものだが、同寺が二年後の開山・夢窓国師650回忌に向けて日本画家の大家・加山又造画伯に制作を依頼していた。神奈川県にある加山画伯のアトリエに天井板を持ち込み描き上げた後、分解して京都へ運んで法堂の天井でつなぎ合わせた>
<杉板159枚を重ねたという、その画板の淵が鮮烈な青色で施されている。使われている色彩は直接墨色、下地は白土が塗られているとのこと。白土の白と墨色のその対比が、ここぞと際立っているのはそのせいだ。円形相の中に青色でふちどりをされ、その中で暴れ狂う竜の姿がある>
雲竜図の天井画といえば、天龍寺と同じ「八方睨みの竜」としてしられる妙心寺法堂の雲竜画が最も有名だろう。こちらは明暦2年(1656)に巨匠・狩野探幽によって描かれて以来、一度も修復の手が入っていない歴史のある作品である。
こうした文化財の比較をするというのは、あまり趣味がよろしくないかもしれないが、ワタクシの中ではやはり「八方睨みの竜」というと、数年前に見たあの妙心寺法堂のものが強烈な印象を残しているだけに、あの迫力に比べると天龍寺のそれは、どこか少し(表現は悪いが)かわいい感じに見えてしまう。
そもそも歴史的な深みが全然違うので、比較すること自体が酷なのかもしれないが、拝観料500円でこの「八方睨みの竜」だけでなく日本最古の梵鐘や明智風呂など、総て説明付きで拝観できる「妙心寺」(境内は無料で、拝観自由)に比べ、天龍寺の場合はこの雲竜画を勝手に見るだけで500円の拝観料(方丈や庭園は別途)は高過ぎる。
しかしながら、特別公開という事もあってか大枚500円を払ってでも見ようという御仁が後を絶たず、この日一日限りの相棒もしばらく見惚れている様子であった。
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