2005/05/11

モーツァルト 交響曲第25番(第1楽章)






モーツァルトらしい霊感に満ちた衝撃的なオープニング!


※出典http://www.yung.jp/index.php
40曲以上あるモーツァルトの交響曲の中で、短調の曲は僅かに2曲しかない。それは、ともにト短調で一つは有名な第40番、もう一つがこの第25番である。この2曲を区別するため、第25番は「小ト短調」などと称される。

40番が晩年の傑作の一つだとすれば、第25番は青年期の最高傑作の一つである。音楽的に素晴らしいのは言うまでもないが、10代の若者にしか書けないだろうと思わせられるところに、一番の魅力がある。この曲は17歳の時に、僅か2日で書き上げたと言われる。

この作品は同時代に書かれた多くの交響曲の中で、全く孤立した存在と言える。当時のコンサートは、貴族の社交の場であった。その様な社交の場に相応しく、明るく軽快で爽快さのある曲が好まれていた。この曲の思い詰めたような悲劇的感情の表出は、その様なコンサートには全く不向きなだけに、一体何の目的で作曲されたのかと訝しくなる。

ただ、第24番とセットで作曲されたことが知られており、その性格は対照的なだけに、この作品をモーツァルト個人の悲劇的体験に結びつけるような解釈は疑問があり、むしろ新しい表現形式を手に入れ、その可能性を窮め尽くそうと無邪気に短調という表現形式に挑む天才の姿・・・これが真相かもしれない。

冒頭のシンコペーションで奏される弦楽器のユニゾンから、それまでのモーツァルトの明るいギャラントな雰囲気とは、全く異質のものを感じさせるが、それ以後に展開されるのは社交の場を華やかに彩る「添え物としての音楽」ではなく、純粋な音による「悲劇的ドラマの展開」である。

それはバッハのマタイなどにおける、悲劇的で真摯な人間的感情の追求を行った音楽と同質のものかもしれない。バッハは音楽と言葉を伴った形式でドラマを展開し、それと同じ事をモーツァルトは音だけで挑戦したのが、この小ト短調のシンフォニーだったのではないか。しかし、この作品でかくも素晴らしい音によるドラマを展開させながら、次の瞬間には何事もなかったかのように、再び元のギャラントな様式で明るい音楽を書き続けたところが、そのちょっとした移り気でかくも素晴らしい作品を生みだしてしまう、天才作曲家の真骨頂とも言える。

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