<當麻寺塔頭奥院は、浄土宗総本山知恩院の「奥之院」として建立された寺で、最初は往生院と呼ばれていました。知恩院第十二代、誓阿普観上人が知恩院の御本尊として安置されていた、法然上人像(重文)を後光厳天皇の勅許を得て、応安三年(1370)当地に還座して建立した寺で、以来浄土宗の大和本山として多くの人々の信仰を集め、今日まで護持継承されて来た名刹です>
本堂(重文)、大方丈(重文)、楼門(重文)、阿弥陀堂、庫裡等、今に残る伽藍に往古の宗教活動の偉大さがうかがわれます>
<楼門(重要文化財)から西へ進みますと、石彫 “くりから龍” を中心に現世を表現した渓流を右手に眺め、スロープをゆっくり上がっていくと浄土の世界が目前に広がります。阿弥陀如来像を中心に数多くの石仏が並び、阿弥陀仏の姿を写す極楽の池 “宝池” があり、ニ上山を背景に當麻の自然を存分に取り入れた、年中楽しんでいただける浄土庭園です>
浄土とは、仏教用語で「一切の煩悩(ぼんのう)や穢れを離れた、清浄な国土。仏の住む世界」をあらわしたものであり、当初「浄土庭園」と訊いた時は
(また随分と、大胆なネーミングをしたものだ・・・)
と思わず笑ってしまったものだったが、今まさに目の前に広がっている浄土庭園には、思わず
(確かに見た事はないが、きっと極楽浄土ってのはこんな感じのような気がする・・・)
と思えてしまったから、不思議なものだ。
とにもかくにも、普通に見る日本庭園から比べどこか一風変った造りであり、シンプルさの中になんとも言われぬ味わいがある、とでも表現すべきか。
奥院・浄土庭園から、再び當麻寺境内に出る。當麻寺の伽藍の中で、拝観可能なのは本堂、金堂、講堂の三つである。
<本堂(曼荼羅堂)は、中将姫の當麻曼荼羅を本尊としてお祀りする堂で、内陣は天平時代のお堂。そのお堂を取り込む形で、永暦年間(平安の末)に外陣(げじん)等が拡張されました>
<本尊・當麻曼荼羅は、文亀二年(1502)に法橋慶舜(ほっきょうけいしゅん)によって転写されたもので、文亀曼荼羅(ぶんきまんだら)と呼ばれます(重要文化財)
縦・横約四メートル四方の大画幅に阿弥陀(あみだ)、観音(かんのん)、勢至(せいし)ら三十七尊や楼閣、宝池などの極楽の有様と、それを心に念ずる方法が描かれており、国宝の厨子の中に収められています。
その他、當麻曼荼羅が織られた部屋「織殿の間(おりどののま)」には、織姫観音と呼ばれる十一面観音(弘仁時代・重文)が祀られ、弘法大師が修法された「参籠の間」では弘法大師三尊の張壁が拝観でき、開山の祖・役の行者も弟子の前鬼、後鬼とともに祀られます>
この本堂の石段の上から、當麻寺のシンボルとも言うべき二つの塔が青空に映えるように聳え立っている様は、なんとも優雅である。
<當麻寺のシンボルとして聳える双塔は、創建時のまま揃う全国唯一のものです。
特に注目されるのが、水煙(塔の天辺の部分)で、東塔は極めて特異な魚骨形。西塔は、蔓唐草に未敷蓮華(みぶれんげ)を配した、古式で華麗なものです。寺の中心である金堂よりも高い丘上にあり、遠望に適しています。特に山内最古の建物である東塔は、中之坊にある香藕園(こうぐうえん)からの眺めが見事です>
この浮世離れした光景には、いつまでも見惚れていたい欲求に駆られながらも、スケジュールを考え後ろ髪を惹かれるような思いで當麻寺を後にした。
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