2003/09/09

にゃべ父の悲喜劇 プププッ(^m^)


 兄マッハ同様、子供のころから運動神経抜群だったにゃべっちだが、その血筋はオヤジから受継いだらしい。

本人の語るところによれば、子供のころからスポーツマンだったらしく、また田舎の生まれ育ちで毎日のように田んぼや畑を走り回っていただけに、中年になっても骨太で筋肉質の体格と体力自慢は相変わらずで、毎早朝のジョギングも欠かさなかった。

そのうち、毎日のジョギングコースで顔を合わせる同好の士たちで「8460(走ろー)会」なるグループが結成され、日課のジョギングにも益々熱が篭っていた。  

この「8460会」の輪は次第に広がっていき、遂には数十人規模に膨れ上がった。

その中に町の有力者でもいたのか、地元最大の有力紙である中日新聞の記者と懇意にしていた人物でもいたのか、同紙の市民版でこの「8460会」の活動が採り上げられる成り行きとなったのである。

目立ちたがり屋のオヤジは

「今度の中日新聞に、オトーさんが先頭で出るからな~。
クラスの友達にも、よーく宣伝しておけよ」

と、にゃべっちと姉ミーちゃんをそそのかして、数日前から独り悦にいっている有様であった ( ´艸`)ムププ

 さて、迎えた当日。

オヤジの執念が実ったか、空は真っ青に晴れ渡ったジョギング日和となり、新聞社のカメラマンも約束通り取材に訪れた。

(我こそは、天下の中日新聞の紙面を飾らん!)

と心中密かに誓う10数人のメンバーが、普段より一段と気合の入ったハイペースで(?)颯爽と走り出した。

ジョギングコースのハイライトとなる山の頂上近くに差し掛かったところで、喘ぎながらビリを走っていたカメラマンが

「スト~ップ!!

では、この辺りで写真を一枚撮りま~す!」

この時点まで、張り切ってトップを走っていたのは、にゃべ父その人。

(むふふ・・・ 
これで明日の中日の紙面をオレの勇姿で飾ることに (*Φ皿Φ*)ニシシシシ

などと、密かに悦に入っていたことだろう。

「では皆さーん、こちらを振り向いてくださ~い」

と非情なカメラマンのひと言とともに、最後尾からパチリ。

哀れ、張り切ってトップを走ってきながら、鈍間なボンクラカメラマンのせいで、翌日紙面の写真では最後尾となってしまった。

そんなバカな (゜◇゜)~ ガーン

とでも言うように呆けたように口を開け、豆粒のような朧げな姿で霞んでいたのが、欲張りでオッチョコチョイのにゃべ父であった (* ̄m ̄)ブッ

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