2003/09/25

金戒光明寺(京都の紅葉part5)


 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院である。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称寺名を「くろ谷さん(くろたにさん)」と呼ぶ。知恩院と並ぶ格式を誇る、浄土宗の大本山の1である。  

承安5年(1175年)春、法然が比叡山の黒谷を下った。その後、岡を歩くと大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い西の空には金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。これが、この寺の始まりであるとされる。

ここは「白川の禅房」と呼ばれ、元は比叡山黒谷の所領で叡空入滅の時、黒谷の本房と白川の本房を法然に与えた。そのため比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んた。後に、法然は信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。その後、岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。なお比叡山では、黒谷を現在も黒谷と呼ぶ。

5世恵の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗最初門」の勅額を賜った。江戸時代初期に、城郭構造に改修された。文久2年(1862年)、京都守護職の本陣となった。第二次大戦後「黒谷浄土宗」として一派独立するが、現在は浄土宗に合流し七大本山の一翼を担う。御詠歌「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ」

 金戒光明寺は、徳川初期に同じ浄土宗の知恩院とともに城郭構造に改められていた。会津藩主松平容保公が、幕末の文久2年閏81日(1862924日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。慶応3129日(186813日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって薩摩藩・長州藩が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。このころ中間として出入りしていた侠客が「会津の小鉄」(上坂仙吉)である。

御影堂(みえいどう)
大殿(だいでん)とも言う。法然75歳時の肖像(坐像)を安置。昭和9年、火災により焼失昭和19年(1944年)に再建。

山門




応仁の乱で焼失し、万延元年(1860年)に再建。後小松天皇の「浄土真宗最初門」の額がかかる。


阿弥陀堂

慶長10年(1612年)豊臣秀頼が再建した。

文殊塔(三重塔)(重要文化財)
寛永10年(1633年)建立。本尊文殊菩薩と脇侍像を安置する(これらの像は運慶作と伝えられるが実際の作者は不明)

大方丈
昭和9年、火災により焼失、昭和19年(1944年)に再建。

山内塔頭 紫雲山蓮池院
熊谷次郎直実が出家し、法力房蓮生となり、庵を結んだ場所。蓮生は建永元年8月(1206年)翌28日に極楽浄土に生まれると、予告往生の高札を武蔵村岡の市に立てたが果たせず、京都に戻りここ東山の草庵で承元2914日(12081025日)に往生したと「吾妻鏡」にある(別説あり)。通称寺の名称を熊谷堂と呼ぶ。直実が兜を置いたので蓮池を別名「兜之池」という。その後、春日局は、池に蓮を植え堂を改修して、名を「蓮池院熊谷堂」と改称した。

直実鎧掛けの松




直実が鎧を洗いそれを掛けたという松。元の松は枯れたが、それを引き継いだ二代目である。平成15年に京都市指定保存樹。

重要文化財
・文殊塔(三重塔)
・木造千手観音立像(通称吉備観音)
・絹本著色山越阿弥陀図・地獄極楽図


一枚起請文(伝・真筆)
建暦2年(1212年)正月23日に、源智が形見にということで法然に懇願して、念仏の教えを書いてもらったという。423日・24日の御忌法要時のみ公開される。

熊谷次郎直実
永治元年215日(1141324日)- 建永294日(1207927日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の平家の武将である。石橋山の戦い以後、源氏方として戦うことになる。一ノ谷の戦いで、平敦盛を討ち取った事で知られている。殺生の虚しさに気付き、以後源平の戦いには参加しなくなる。法然と出会った後、徐々に敦盛の供養のために出家を模索するようになる。直実はここ黒谷に至り、鎧を洗いそれを松の枝にかけ、馬を繋ぎ法然上人の門を叩いた。法然に自分の心のうちを話し出家。そして庵を結び、蓮生法師となったという。京都府長岡京市粟生の西山浄土宗の総本山、光明寺(こうみょうじ)は、法然を慕い弟子となった蓮生が建久9年(1198年)に念仏三昧院を建立したことに始まる。
※Wikipedia引用

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