2003/09/04

薬師寺の文化財(古都へpart10)


東院堂(国宝)
境内東側、回廊の外に建つ。元明天皇のために皇女の吉備内親王が養老年間(717724年)に建立した東禅院が前身で、現在の建物は鎌倉時代・弘安8年(1285年)の建築。堂内の厨子に本尊・聖観音立像を安置する。

玄奘三蔵院


主要伽藍の北側にあり、1991年に建てられたもので玄奘三蔵を祀る。日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した、縦2.2メートル、長さが49メートル(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」がある。

休岡八幡宮(重文)
南門を出て、公道を横切った向かい側の敷地にある。薬師寺の鎮守社で、現在の社殿は桃山時代の慶長元年(1596年)、豊臣秀頼の寄進によるもの。

国宝 銅造薬師三尊像

奈良時代の作。中尊は薬師如来、脇侍に日光菩薩(にっこうぼさつ)と月光菩薩(がっこうぼさつ)を配している。中尊像の堂々たる像容、脇侍像の自然な身のこなし、各像のプロポーションなど日本の仏教彫刻が六朝や唐の影響を受けつつ、独自の古典様式を完成した奈良時代の作品の中でも、最高傑作の1つとして古来名高いものである。中尊像の台座には、シルクロードの軌跡とも言うべく、ギリシャ、ペルシャ、インド、チャイナなどに淵源をもつ葡萄(ぶどう)唐草文、異国風の人物像、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)などの意匠があしらわれている。制作年代については、持統天皇2年(688年)には完成していたとする説、『日本書紀』に持統天皇11年(697年)、薬師寺にて仏像の開眼法会を行った旨の記録があることから、この時に制作されたとする説、平城京移転後の新造とする説があり、決着をみていない。

銅造聖観音立像
東院堂本尊。像高約189センチ。金堂薬師三尊像と同じく、奈良時代の金銅仏の代表作の1である。国宝指定名称は「銅造観音菩薩立像

木造僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命坐像
 平安時代初期の作。いずれも像高30数センチの小品で、薬師寺の鎮守八幡宮の神体として作られたもの。日本の神像彫刻は仏像の影響を受けて作り始められたもので、薬師寺の三神像は日本の神像としては現存最古作の1である。奈良国立博物館に寄託されている。

麻布著色吉祥天像
『金光明最勝王経』所説に基づき、吉祥悔過会(きちじょうけかえ)の本尊として制作されたもので、数少ない奈良時代の絵画遺品として貴重なものである。  頭部の背後に光背(後光)があることから、これが仏画であることがわかるが、一見すると奈良時代の美人画のように見える。風に靡く着衣の繊細さが、よく表現されている。春・秋などに期日を限って、寺内の大宝蔵殿で公開される。

絹本著色慈恩大師像
チャイナ法相宗の祖の肖像画。11世紀の作。

仏足石
大講堂内にある。礼拝対象としての仏陀(釈迦)の足跡を刻んだ石。側面に長文の銘があり、黄書本実(きぶみのほんじつ)が唐で写し持ち帰った仏足跡を文室真人智努(ぶんやのまひとちぬ)が夫人の追善のために写させたもので、天平勝宝5年(753年)の作と知られる。

仏足跡歌碑
大講堂内にあり、仏足石とともに伝来したものだが、元来一具のものであるかどうかは定かでない。高さ194cmの石碑に仏足跡を称える歌など、21首の歌を万葉仮名で刻む。ここに刻まれた歌は、いずれも通常の和歌より1句多い「五・七・五・七・七・七」の歌体になり、これを「仏足跡歌体」と称する。
※Wikipedia引用

 こうした寺社というのは建築が幾つもあるから、訪れる度にどこかの修復中をしているケースによく出くわすが、この時は講堂が改修中であった。この薬師寺講堂は、完成すれば東大寺大仏殿を上回る国内最大の木造建築になるらしい。ちなみに、これより数年前に訪ねた人は、ちょうど西搭の改修期間に当たってしまうという貧乏くじを引いてしまったらしいが・・・


鏡池越しに望む、塔が二つ並んだロケーションを探して歩き回っているうちに思わぬ時間を食ってしまい、一緒に予定していた唐招提寺は泣く泣く諦めてライトアップの中心部へ再びUターンして行った。陽が落ちる頃合を見計らって近鉄奈良駅に戻り、昼間のコースをなぞっていく。ライトアップにより、昼間とは趣を異にした興福寺、東大寺と廻り、お目当ての春日大社へ。江戸時代を中心に信者から無数に寄進されたと言われる境内の燈篭と、堂内の釣燈篭に一斉に燈が灯る「中元万燈篭」は814日と15日の2日しかない(万燈篭自体は、節分にもあるらしい)ので、近所に住んでいない限りはいつ観に来られるチャンスに恵まれるかわからないのである。

<春日大社の万灯籠は、約800年昔から行われて来た行事で境内にある3000基の境内にある灯籠は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、広く一般国民から奉納されたものだそうです。それだけ、庶民信仰が厚かったといえるのでしょう。

灯籠には、あらかじめ崇敬者の方々に願いを書いていただいた和紙が貼ってあり、万灯籠の日に参列した方々に浄火を入れてもらいます。昔は油料の続く限り毎晩点燈され、特に雨乞祈願には万燈が行われた記録があるようです。この灯籠を毎晩点灯するのは、相当大変な作業であったことでしょう。しかし明治時代になると、人員不足と油料が途絶え毎夜の点灯が不可能になったそうです。それでも油料の寄付集めをし、必死に伝統を守ろうとした形跡を残す資料が、春日大社には残っているそうです。

近年は年2回、2月の節分と8月のお盆の14日、15日時期に行われるようになりました。特に8月は、舞楽の奉納が本殿の前で行われます。このあと本殿にお参りするのですが、その頃になると日が暮れて灯籠が浮かびあがってきます。  この燈籠は、よく見ると様々な模様が数多くあって、様々な人が寄進していることがよく分かります。本殿周辺の回廊にも燈籠が釣られ、火の灯りが朱色の回廊を優しく照らし、幽玄な雰囲気を出していました。実に神秘的ですね。毎年の事ながら、多くの報道陣がカメラを回し撮影していました。夜のニュースの定番になっています>

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