2003/09/09

御城番屋敷と松阪牛(お伊勢さんと松阪牛の旅)part3

天守閣跡から降り、本居宣長記念館、本居宣長旧宅跡、そして石畳の古い町並みが残る御城番屋敷などを見物した。

 

<御城番屋敷は、紀伊田辺藩の田辺与力騒動で一時浪人の憂き目を見た40石取り紀州藩士20人が松坂御城番職に就いた際、藩士および家族の住居として幕末の1863年(文久3年)、城内三の丸に新築された組屋敷である。武士の組屋敷がほぼ当時のまま、住居として継続して使用・維持管理されてきた貴重な建築物群である。

 

類例の少ない近世武士の長屋建築」として重要文化財に指定されている。


松阪城搦手から続く小路を挟んで東西に2棟が並び、建物を取り囲む槙の生垣や前庭、上り框のある玄関、建物背後の角屋(つのや)・畑地等と続き、時代劇のセットの様な景観が整然と拡がっている>

 

今度は松阪市役所に入ってウォータークーラーの冷水(タダ!)で乾いた喉を潤してから、江戸木綿問屋・長谷川邸、松阪商人の館と立て続けに見物していく。

 

松阪商人の館に到着した時は、携帯の時計が午後418分を指していた。


<天正16(1588)年、戦国時代の武将、蒲生氏郷により開かれた松阪の城下は、江戸時代になると商人の町として大いに栄えました。主に松阪木綿を扱う豪商は、江戸時代前期にいち早く江戸(あるいは京・大阪)に店を構えましたが、その商品は粋好みの江戸っ子たちに持て囃され、年間五十数万反(当時の江戸の人口の半分)の売り上げを誇った、と言われています。

松阪商人の館は、その江戸期の屈指の豪商・小津清左衛門の邸宅を資料館として公開しているものです。展示品の中には「千両箱」ならぬ「万両箱」もあり、その広い屋敷はまさに「江戸店持ち伊勢商人」の風格を感じさせます>

 

入り口に

《入場料200円。受け付け1630分まで》

と書いてあったので、どうしようか迷ったが

 

(折角来たんだから、10分でも・・・)

と門を潜ると、受付のバアサンが

 

「スイマセン、もう終わりましたよ」

「え? もう終わりって・・・4時半までと書いてあるけど?」

「はい、今日はもう終わりましたので・・・スイマセン・・」

 

なんだか早く帰れと言わんばかりの、邪魔者扱いが腹立たしく

 

16時半までって書いてあるんで、まだ10分あるじゃん」

10分で、よろしいか?」

「ああ、いいよ・・・ちょこっと観るだけだから」

「ほな、おとーさーん。  ちょっと、もー1回開けたってやー」

 

ははーん・・・それでなんだか、あちこちから木戸を閉めるガタガタという音がしてたのか。

 

16時半までと書いておいて、なんで10分以上も前に閉めるんだ?)

 

と文句が出かかったが、ジイサンの方は親切な人らしく

 

「蔵だけでえーから、開けたってや」

 

という意地悪バーさんの空念仏を聞き流し(?)、あちこち慌てて開けてくれた上に、この屋敷の説明までしてくれたのであった。


こうして、この日の観光は終了。松阪の町はどこへいっても「本居宣長」一色という感じながら、宣長にはあまり興味を惹かれぬ学のない自分としては、どうしても「松阪牛」にばかり頭がいってしまう。

 

<松阪牛は、三重県松阪市及びその近郊で肥育される黒毛和種である。「まつさかうし、まつざかうし、まつさかぎゅう、まつざかぎゅう」と様々に呼ばれるが「まつさかうし」が品評会での登録された公式の呼び名で、生きている場合は「まつさかうし」だが加工して食肉となったものは「まつさ()かぎゅう」と呼ばれるのが正式な呼び方である。神戸ビーフ(兵庫県)、近江牛(滋賀県)と並ぶ[日本三大和牛]のひとつ。


2002年(平成14年)819日以前は「松阪牛」全てが高級銘柄牛肉であったが、以後は格付けが低いものまで「松阪牛」との呼称が許され、全てが高級とは限らなくなっている。江戸時代には、農耕用の役牛として但馬国(兵庫県但馬地方)の雌牛を飼育していた。明治になり、西洋文化の影響で牛肉食が始まると、遅くとも1905年(明治38年)頃までには、農耕用を退役した牛が肉牛として売られるようになった。

 

その後、役牛から肉牛へのシフトが進み、1935年(昭和10年)に東京で行なわれた『全国肉用牛畜産博覧会』で名誉賞を受賞したことから、全国的に知られるようになった。戦後は1949年(昭和24年)に松阪肉牛共進会が開始され、品評会に優秀な肉牛が出品されて松阪牛の名声を高めた。

 

一方で、日本食肉格付協会の枝肉格付けが最上級のA-5B-5のもののみを「松阪牛」と認定し、品評会向け以外に一般に流通するものにも厳格な品質を貫いた。

 

2001年(平成13年)に発生したBSE問題や産地偽装事件への対応のため、2002年(平成14年)には子牛の導入から出荷までを管理する「松阪牛個体識別管理システム」が発足し、これに登録した肉牛を松阪牛とした。しかし、一方で2002年(平成14年)819日の規約改訂により「松阪牛」の定義から枝肉格付けが削除され、肉質が最低の1であっても「松阪牛」と名乗れるようになった。 このため、全ての「松阪牛」がすなわち最上級の高級牛肉である時代は終わった>

出典 Wikipedia

 

そうは言っても、なにしろ貧乏だから豪華なステーキなどには、とても手が出ないが

 

(折角松阪に来たからには、やはり肉が食べたい)

 

との欲求には抗しきれず、手頃な「松阪肉弁当」を食べる。やっぱり、柔らかくて美味しい。伊勢名物の「赤福もち」は、普段名古屋で買って食べているので「伊勢海老せんべい」をみやげ(といっても、自分で食べるやつだけど)に買い、味気ない名古屋の街へと帰っていった。

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