乾漆金剛力士立像(国宝)
奈良時代。 乾漆四天王立像(国宝)
法華堂須弥壇上の四隅に安置された四方を守護する神将像で、華麗な彩色文様がよく残り天平時代の華やかさを今に伝える。
塑造執金剛神立像(国宝)
本尊不空羂索観音の背後の厨子に、北向きに安置される。右手に金剛杵(こんごうしょ、仏敵を追い払う武器)を持ち、目を吊り上げて威嚇する武神像である。
長らく秘仏であったため、当初の彩色がよく残る。執金剛神とは、仁王像を1体で表わしたもの。本像は東大寺の開山(初代住職)良弁の念持仏と伝え、平将門の伝説でも知られる古来著名な像である。伝説によれば、平将門が東国で乱を起こした時、この像の髻(もとどり、結髪)を結んでいる元結紐(もとゆいひも)の端が蜂となって飛び去り、将門を刺して苦しめたという。確かに、本像の元結紐は今も片側が欠失している。秘仏であり、良弁の命日の12月16日のみ公開される。
塑造吉祥天・弁才天立像(重文)
奈良時代。堂内の厨子に安置されている。唐三彩の婦人俑に似た、豊満な貴婦人の形をとっている。吉祥天は二臂、弁財天は八臂。いずれも破損が著しいがかえって塑像の構造が明らかにされており、美術史上貴重な資料である。
木造不動明王二童子像(重文)
南北朝時代。小品ながらも、よくまとまった佳品である。
木造地蔵菩薩坐像(重文)
鎌倉時代。
二月堂(国宝)
旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることから、この名がある。 春の夜焦がす、東大寺「お水取り」二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火には焼け残ったとされているが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おおがんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。建物は2005年12月、国宝に指定された。
開山堂(国宝)

開山堂(国宝)
開山(初代住職)良弁の肖像を安置するための堂。
内陣は正治2年(1200年)、外陣は建長2年(1250年)の建築で、東大寺南大門とともに大仏様(よう)建築の数少ない遺作である。
本尊木造良弁僧正坐像(国宝)
本尊木造良弁僧正坐像(国宝)
平安初期9世紀の作品で、良弁の命日の12月16日のみ公開される。
塑造四天王立像(国宝)
塑造四天王立像(国宝)
法華堂の日光・月光菩薩像とともに、奈良時代の塑像の最高傑作の1つ。怒りの表情をあらわにした持国天、増長天像と、眉をひそめ怒りを内に秘めた広目天、多聞天像の対照がみごとである。記録によれば、創建当初の戒壇院四天王像は銅造であったので、今ある四天王像は後世に他の堂から移したものであることが明らかである。
転害門(国宝)
転害門(国宝)
境内西北、正倉院の西側にある八脚門。平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の大火にも焼け残った寺内で数少ない建物の1つ。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。2004年頃から野良猫による糞尿や爪とぎの被害が問題になっている。
※Wikipedia引用
※Wikipedia引用
0 件のコメント:
コメントを投稿