2003/11/27

兵庫、六甲、武庫



 学生時代を京都で過ごしたワタクシにとって、京都・大阪とともに馴染み深いのが言うまでもなく、三都の一角を占める神戸だ。

京都から大阪は非常に近いが、それに比べれば神戸はチト遠かっただけに、本来ならあまり足を運ぶ事はなかったはずだが、夏から秋にかけて偶然にそれぞれ芦屋と西宮の女学生と親しくなる機会に恵まれると、デートコースは当然の事ながら彼女らの勝手知ったる庭のような神戸となった。

そんな事から、この「神戸」という地名にはかなり思い入れがあるが、実はこれと同じ字の地名は結構、全国あちらこちらに存在するらしい。

しかも、それらは読みが必ずしも「こうべ」 とは限らず「かんべ」 、「かみと」、「ごうど」、「かんど」、「かのと」 などなど、実に多岐に渡っている。

そして神戸といえば、なんといっても「六甲」だ。

インターネットの時代となってから

(そもそも「神戸」とか「六甲」ってのは、どんな意味なんや?)

と思い立って早速調べてみると、以下のような珍説に出くわした。

●某大学講師のWebページから引用
《人文研の助手に採用されたての頃、チャイナ科学史班の会読の際に神戸と六甲という地名は、もしかしたらチャイナの星座名に由来するのかも知れない、と思われる記事に出会ったことがあった。

チャイナ星座としての六甲は、北極星からそう遠くないところにあって、現在のきりん座とケフェウス座に跨る6個の星を指すと考えられる。

唐代の瞿曇悉達(ぐどんしった)が編纂した、占星術書『開元占経』(かいげんせんきょう)は、約三百個のチャイナ星座ついても解説している。

その書の巻六九で、六甲という星座を説明して

『春秋緯に曰く六甲中を輔と為す、物類を包羅し神戸を為す』

とある。

六甲はまた「神戸」(しんこ)、すなわち神の戸、神様が出入りするためのドアでもあるというのだ。

通説では、地名の神戸(こうべ)は生田神社に税を納めていた封戸・神戸(かんべ)に由来するという。

また地名の六甲には二説あって、一説は大阪の向こうに聳える山の意で「ムコ」に六甲という漢字をあてたとするもの。

もう一説は「神功皇后が六個の甲(かぶと)を埋めたから」というもの。

平安時代の『夫木集』の

『秋の夜の務古の高根にゆきふいて 津守の浦によする白波』

の務古に「六甲(むこ)」の字を当て、これを音読みしたのが「六甲(ろっこう)」である》
 
 《その昔、平清盛が港を築いた福原、源平合戦の舞台にも近いことから、この辺りに「武器庫」があったから「武庫」という地名がついたのではないか、とも言われています。

この「武器庫」説は、源平時代にできたような新しいものではなく、もっと昔の時代にルーツがあるようです。

「日本歴史地名辞典」によると、神功皇后が朝鮮半島に出兵した帰りに武器を埋めたという伝説が風土記などに記されていることから「武庫」の地名がつき、この「武庫」から「兵庫」という県名も生まれたとのです。

その昔は「務古」と書いていた頃もあるようです。

普通に考えると「六甲山」は「六つの甲が並んだような形」からきているのではないか、東の仁川には「甲山」もあるではないかと思いますが、地名研究者の説はそうではないのです。

地名が歴史を反映しているとすれば「兵庫」には兵器庫があったはずです。

●ポリネシア語による解釈
《六甲山地は兵庫県南東部、神戸市街地の背後に東西に伸びる山地で、東端は宝塚から西端は明石海峡北岸の塩屋、須磨あたり、北側は大多田川、太田川の構造谷、南は屹立した断層を挟んで大阪湾に臨んでいる。

最高峰は神戸、芦屋、西宮3市の境にある六甲山(931メートル)である。

嶮しい山地で、かつては修験の山だった。

六甲山地の東縁には、釣鐘状の特異な山容の甲(かぶと)山(309メートル)があり、西側には摩耶山(699メートル)があって、展望が良いことで知られている。

この「六甲(ろっこう)山」は

(1) 元々、その麓の地名をとった「武庫(むこ)の山」でしたが、これに「六甲(むこ)」の字が当てられ(室町時代の『旱霖集』の僧祖応の詩にみえるのが初見で「六甲」の文字は神功皇后が西征帰還後に、ここに六つの甲(かぶと)を埋めた伝説によるといいます)、後に「ろっこう」と読まれるようになった、というのが通説。

(2) この「むこ」は、難波の地から見て「向こうの地」だから、とする説などがある。
この「むこ」は、マオリ語の「ム・コウ」、MU-KOU(mu=silent;kou=knob,stump)、「静かな切り株(瘤のような山)」の転訛と解します。

この「ム・コウ」は、京都府向日(むこう)市の「むこう」の語源と同じです。  

この甲山の「かぶと」は「兜(かぶと)」からとされていますが、これはマオリ語の「カプ・タウ」、KAPU-TAU(kapu=hollow of the hand,close the hand;tau=ridge of a hill)、「両手を合わせたような峰」の転訛と解します。  

この摩耶山の「まや」は、マオリ語の「マイア」、MAIA(brave,bravery)、「勇者(のようにそそり立つ山)」の転訛と解します。
※「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」から引用

このように「兵庫県」は、読んで字の如し「兵器庫のあった地」から来ているようですが、西宮市の「武庫川」も同様と思われ、かくして
「兵庫」(兵器庫)=「武庫」(武器庫)=「ムコ」=「六甲」=「ろっこう」という関連付けが出来上がった ( ´艸`)ムププ

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