明治維新以後の廃仏毀釈により民衆による破壊にさらされ、さらに幕政時代のような政府による庇護がなくなった全国の仏教寺院は、財政面で困窮の淵にあった。また多くの寺院は堂塔が老朽化し、重みで落ちそうな屋根全体を鉄棒で支えるような状況に至っていた。
文明開化の時代に古い寺社を文化遺産とする価値観はまだなく、法隆寺はじめ多くの寺院が存続困難となり、老朽化した伽藍や堂宇を棄却するか売却するかの選択を迫られた。法隆寺は1878年(明治11年、)貴重な寺宝300件余を皇室に献納し、代償として一万円を下賜された。この皇室の援助のおかげで、7世紀以来の伽藍や堂宇が維持できることとなった。皇室に献納された宝物は一時的に正倉院に移されたのち、1882年(明治15年)に帝室博物館に「法隆寺献納御物」(皇室所蔵品)として収蔵された。
戦後、宮内省所管の東京帝室博物館が国立博物館となった際に、法隆寺に返還された4点と宮中に残された10点の宝物を除き、全てが国立博物館蔵となった。 さらにその後、宮中に残された宝物の一部が国に譲られ、これら約320件近くの宝物は現在東京国立博物館法隆寺宝物館に保存されている。(有名な『聖徳太子及び二王子像』や『法華義疏』などは、現在も皇室が所有する御物である)
境内が国の史跡に指定されている>
かつて愛読していた松本清張の小説に頻繁に出てきたが、ともに飛鳥時代の代表的傑作とされる法隆寺の「百済観音像」やら、中宮寺弥勒菩薩半跏像の神秘的な「アルカイックスマイル(古拙の笑み)」やらの解説が懇切丁寧に何ページにも渡って延々と書いてあり、学生時代に読んだ時は
(こんなの、なにがおもしろいやら・・・)
と辟易しながら読んでいたものだったが、数年後に再読した時には巨匠の巧みな筆致に導かれて、ようやくにして沸沸と興味が湧いてきたものだった。
<百済観音は、奈良県斑鳩町の法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀中期 - 後半)作の木造観音菩薩像である。日本の国宝に指定されている(指定名称は「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」)
日本における木造仏像彫刻の古例として貴重であるとともに、大正時代以降、和辻哲郎の『古寺巡礼』、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』などの書物で紹介され著名になった。
平面五角形の反花座(かえりばなざ。ハスの花を伏せたような形の台座)に接してに直立する。通常の仏像に比べて著しく痩身で頭部が小さく、8頭身に近い。右腕は肘でほぼ直角に曲げ、前膊(下腕)を観者の方へ向けて水平に突き出し、掌を上へ向ける(持物(じぶつ)はない)。左手は垂下し、肘を前方に軽くに曲げて手の甲を観者の方へ向け、水瓶(すいびょう)を持つ。下半身には裳(巻きスカート状の衣服)を着け、天衣(てんね。仏像や天人像が身につけている薄く細長い布のこと)をまとう。天衣は大腿部正面でX字状に交差し、両腕にかかり、両体側に垂下している。頭髪は髻(もとどり)を結い、両肩に長く垂れ下がっている。宝冠、首飾、臂釧(ひせん)、腕釧(わんせん)などの装身具を付け、これらは銅製透かし彫りの別製とする。光背は宝珠形の頭光(ずこう)で中央部に八葉蓮華を表し、その周囲には同心円状の文様帯があり、その外側の周縁部には火焔文様を表す。光背支柱は竹を模した木製で、光背基部には山岳形の装飾がある。台座は前述の五角形の反花座の下に、2段の框(かまち)がある。
頭・体の根幹部分、さらには足下の蓮肉(台座の内側の部分)と、その下の2つの枘(ほぞ)までを含んでクスノキの一材から彫り出した一木造である(飛鳥時代の木造彫刻はほとんどがクスノキ製)。両腕の肘から先、頭上の髻、体側に垂れる天衣などを別材矧ぎ付けとする。左手に持つ水瓶も別材で、これはヒノキ材製である。像表面には、乾漆(漆に木粉や針葉樹の葉の粉などを混ぜたもの)を盛り上げて細部を仕上げている。像表面には彩色を施すが、剥落が多く当初の彩色は判然としない。像内部は胸以下に内刳り(像の重量軽減や干割れ防止などのために、内部を削って空洞にすること)を施す。
X線写真によれば本体側面に縦の矧ぎ目があり、一木で制作した像をいったん前後に割り放し、内刳りを施したものと見られる。法隆寺大宝蔵院の百済観音堂に安置する。明治時代初期には金堂の北面に安置され、明治時代後期~昭和時代初期には奈良帝室博物館(現奈良国立博物館)に寄託されていた。
法隆寺の古い記録には、この像に当たるものが見えないことから造像当初から法隆寺にあったものではなく、後世、他の寺院から移されたものと思われる。いつ、どこの寺院から、いかなる事情により移されたかについては諸説あるが、正確なことは不明である。
明治30年(1897年)12月28日、「観世音菩薩乾漆立像(伝百済人作)1躯」として、古社寺保護法に基づく国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定。
昭和26年(1951年)6月9日、「木造観音菩薩立像(百済観音)1躯」として文化財保護法に基づく国宝に指定された。
出典Wikipedia
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