2003/11/05

初瀬・長谷part1

 『こもりくの 長谷(ハツセ)の山 青幡(アヲハタ)の 忍坂山は 走り出の よろしき山の 出で立ちの 妙クハしき山ぞ 惜アタラしき山の 荒れまく惜ヲしも』

「泊瀬の山、青鈍色の忍坂山は出で立って見る美しい山です。
この心に沁みる山の荒れるのが惜しい。
美しい女が見守ってくれた間は山の心も賑やかでしたのに、今はその人は亡くなって山はすっかり荒れています。

人も山も霊魂遊離してうらぶれています」

桜井市忍坂は、六世紀の鏡銘には固有名詞を表記した初期の万葉仮名として有名な「意柴沙加オサカ宮」などでも知られるように、古くから拓けていた。

忍坂から粟原・倉橋、更に初瀬へかけて、多くの古墳も見出されている。

笹繁る雑木林に、枯葉を踏む懐かしい道である。

『こもりくの 初瀬の山は 出で立ちの よろしき山 走り出の よろしき山の』
『こもりくの 初瀬の山は あやにうら麗グハし あやにうら麗し』(『日本書紀』)

この古曲は、初瀬地方の山の生命を賛美したものです。

生者の賛美、死者への悲嘆、これらは元何れも「忍(シノヒ)」でした。

生あるものを称え、死者を偲ぶのです。

日や月の昇る初瀬地方の古い祭の、死と復活の神秘 ・・・死の床の石棺が、同時に豊饒の母胎なのです。

そんなところから、生と死との交錯する山の情感が生まれたのではないでしょうか。

何れにしても、この二つの歌には山の死と復活との観念が沈んでいます。  

この忍坂の山懐・石位寺石佛の辺に舒明帝陵の森があり、鏡王女などの墓があります。

ちなみに、歌の中にある「忍阪(おっさか)」は、現在確認されている日本で一番古い地名だそうだ。

大和国(奈良県)から伊勢国(三重県)に行くには、北の初瀬街道か南の和歌山街道を東に向かう。

この二つの街道には、文字は異なるが良く似た音を持つ「長谷(はせ)」と「波瀬(はぜ)」という地名が残されている。

初瀬街道の長谷はボタンの長谷寺で、和歌山街道の波瀬は「花の心を全ての人々に」の市民活動でよく知られている。

これらの二つの地名の元の音は、共に「は-しぇ(ha-sye)」で「中央でより分かれるところ(分水嶺)」という意味である。

日田や飛騨が「ひ-た=中間にある高地」で山や台地から名付けられているのに対し、長谷や波瀬が水の流れから名付けられているのが面白い対比と言える。  

長谷は、難波から大和への二つの川「大和川」と「淀川」の源流(初瀬川、宇陀川)の尽きるところ、波瀬は紀伊から大和へ登る吉野川の源流(高見川~木津川)と、伊勢から大和へ登る櫛田川の尽きるところである。

なお大和川の他の源流(葛城川、蘇我川)と、吉野川源流の宇智川との分水嶺付近の地名が「御所(ごせ=kwo-sye)」、「古瀬(こぜ)」であるのも、同じ理由によるものだろう。

現在、両地名は少し北へずれている。

●ポリネシア語による解釈
桜井市東部の初瀬川渓谷の総称で「泊瀬(はつせ)」、「長谷」とも記し、現在は「はせ」と呼びます。

大和国と東国を結ぶ伊勢街道の要衝にあり、古くから開けた場所です。

『日本書紀』雄略即位前紀安康3年11月条に

壇(たかみくら)を泊瀬の朝倉に設く

とあり、武烈即位前紀仁賢1112月条に

「壇場(たかみくら)を泊瀬列城(なみき)に設く」

とあり、欽明紀31年4月条に「泊瀬柴籬(しばがき)宮に幸す」とあります。  

『和名抄』には、大和国城上郡に長谷(はせ)郷がみえます。

『万葉集』に「隠国(口)(こもりく)の泊瀬」と歌われた地で、渓谷中部の長谷寺が観音信仰の中心となり『源氏物語』や『枕草子』など、多くの文学に登場します。

この「はつせ」は

 (1)「ハ(長い)・ツ(助詞)・セ(狭い)」の意
(2)「ハツ(初)・セ(瀬)」の意
(3)「ハツ(船が泊る)・セ(瀬)」の意
(4)「ハツ(果てる)・セ(瀬)」の意

 などの諸説があって、定説はありません。

 この「はつせ」、「はせ」は、同義のマオリ語の

「パツ・テ」、PATU-TE(patu=strike,beat,edge;te=crack)、「(出水が)襲う割れ目(降雨によって突発的な洪水が発生しやすい川)」

「パ・テ」、PA-TE(pa=touch,reach,be struck;te=crack)、「(出水が)襲う割れ目(降雨によって突発的な洪水が発生しやすい川)」

の転訛(原ポリネシア語の「パツ」、「パ」のP音が日本語に入ってF音を経てH音に変化し「ハツ」、「ハ」となった)と解します。

突発的な洪水を防止するため、上流に初瀬ダムが昭和621987)年に完成しています(小学館『日本地名大辞典』による)。

全国に散在する「長谷(はせ)」地名も、同じ語源でしょう。

なお、枕詞「隠国(口)」の「こもりく」は、マオリ語の

「コモレ・ク」、KOMORE-KU(komore=bracelet,taproot;ku=silent)、「真っ直ぐ延びた(植物の)根のような(谷の)静かな(土地)」

の転訛(「コモレ」の語尾のE音がI音に変化して「コモリ」となった)と解します。

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