物事にはどんな事にも裏と表があるように、ハイドンの《交響曲の父》という評価も、大きく二分される。
表の評価は、言うまでもなく天才モーツァルトの41曲を遥かにに引き離す「104曲」(協奏交響曲を除く)という、まことに気の遠くなるような膨大な交響曲を遺したという、その多作な才能である。
一方、裏の評価は「数だけは多いが、どれも面白みに欠ける」、「単純な曲調が多く、飽き易い」といったなものだ。
初期の頃の『朝』(第6番)、『昼』(第7番)、『晩』(第8番)辺りを聴くと、素人目(耳)には交響曲と言うよりは、今日的感覚では弦楽四重奏曲に毛の生えた程度の規模で、ロマン派以降のゴテゴテとした交響曲を聴き馴れた耳には、単純で物足りないような聴こえるかも知れないが、それはあくまで皮相な見方に過ぎない。
『驚愕』の中でも、特に有名なのは第2楽章だ。
「驚愕」という愛称は第2楽章の冒頭の静かな演奏の後、ビックリするような大音量の和音が現れることに由来する、といわれている。
また大音量にビックリしたのではなく、緩徐楽章にトランペットを使うという、当時としては常識はずれのオーケストレーションにビックリしたのだ、ともいわれている。
この部分のエピソードとしては、一般的に
「演奏会場で居眠りしている聴衆を苦々しく思っていたハイドンが、ビックリさせて起こそうとした」
と言われるが、これは後から作られた創作らしい。
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