2003/11/27

下鴨神社と糺の森(京の錦秋part8)


 夕方にはレンタサイクルを返し、食事をしてから翌日の日程に備えて下鴨のプリンスホテルに泊まる。ほんの目と鼻の先に下鴨神社があり、神社と繋がっている糺の森を歩いてみると静謐な雰囲気の中を自転車通学の学生が、引っ切り無しに通って行く。

<糺の森は、賀茂川と高野川の合流点での下鴨神社境内に広がる約12ヘクタールの森で、かつてここ一帯が山城原野であった頃の植生が今に残る森といわれています。ケヤキ、エノキやムクノキ等の落葉広葉樹を中心に約40種の樹木が生育し、泉川の清流にはホタルの飛翔も見られます。古来多くの物語や詩歌に登場し、葵祭等の舞台としても親しまれています>

 

(キミら、糺の森を通って通学なんて贅沢やな~)

と羨ましくなったが、毎日通っている当事者たちにしてみればどうという事のない、当たり前の日常なのだろう。

 翌日は6時に起き、早朝の下鴨神社を散歩してみる。

<賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。通称「下鴨神社」。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに、古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。

  

賀茂神社両社の祭事である「賀茂祭(通称「葵祭」」で有名である。上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と、玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は、賀茂建角身命の化身である。付属施設に糺(ただす)の森、みたらし池がある。

京都の社寺でも、最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したと伝える。また、崇神天皇7年(紀元前90年)に神社の瑞垣の修造が行われたとの記録があり、この頃の創建ではないかとの説がある。 一説には、天平のころに上賀茂神社から分置されたともされる。上賀茂神社とともに、奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位である正一位の神階を受け、賀茂祭は勅祭とされた。

延喜式神名帳では名神大社に列し、名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載されている。弘仁元年(810年)以降、約400年にわたり斎院が置かれ皇女が斎王として賀茂社に奉仕した>
出典Wikipedia

朝の綺麗な空気と静謐なムードに包まれた人影のない境内が、なんともいい感じなのである。ホテルを出たその足で出町柳から叡山鉄道に乗り一乗寺で下車し、目指すは京都でも五つしかない門跡寺院の曼殊院へ。

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