前年(1997)に続き、二度目の秋の京都である。前年は不順な天候続きでどこも葉の色付きが悪く、あっという間に濁ったような茶色に変色してしまっていたが、この年は例年通りの良い色付だという噂であった。
その年によって遅咲きや早咲きの違いはあるものの、毎年ほぼ同じように綺麗な花を開いてくれる桜とは違い、紅葉の方は気位の高い美女のように美しく色付く条件は非常に難しい。京都へ足を運べるチャンスはかなり無理をしても年に2~3度が限度だから、出来る限りはまだ訪ねた事のない寺社を一つでも多く拝観したいのはヤマヤマではあったが、やはりこの時期はなんといっても紅葉である。
前の年の茶色に変色した紅葉を観ながらも
(これが本来のように綺麗に色付いたら、どんなに美しい事か・・・)
との思いが捨てきれず、またしても東福寺を訪ねた。
JR東福寺駅は京都駅から一駅と、地図で見る限りはこの上なく近くて便利なようだが、実際には新幹線を下車してからホームを上がったり降りたりして最も奥まった奈良線のホームまで辿り着くのに思わぬ時間を要する。その上、普通列車しかないこの路線の少ないダイヤが、何故かいつもホームの直前まで行くと先発列車が発車してしまい、殺風景なホームで虚しく次の列車が来るまでの長い時間を過ごさねばならずストレスが溜まる。車で走れば案外近いようだが、何しろあの狭い道路と駐車場の少なさを考えると、土台無理な話だ。
さて、この年は期待通りの紅葉に参道から前の年を遥かに上回る人手だったが、中門のところにまで行列をなした人が溢れているのは何事かと思えば、通天橋の受付窓口から並んでいる拝観者の列であった。
(うむむ・・・去年は簡単に入れたが・・・こりゃ、通天橋は無理かな・・・?)
と思いつつしばらく様子を見ていると、一向に列が動く気配のない中、門の柱に凭れて弁当をぱくついている老夫婦を目にして、その執念には呆れて通天橋は一旦諦める事にした。臥雲橋から望む境内は、やはり前の年とは比較にならないような鮮やかな朱や赤の葉で埋め尽くされていた。
初めて訪れた前回は通天橋からの紅葉に専ら見惚れるばかりで、まったく気が付かなかった方丈の日本庭園を拝観する。「八相庭園」といわれるように、それぞれに趣を異にする八種類の庭園がある。
方丈庭園。禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されてきましたが、四周に庭園をめぐらせたものは当寺唯一の試みです。当庭園は1938(昭和13)年、重森三玲氏が作庭しました。釈迦成道を表現し「八相の庭」と命名され、近代禅宗庭園の代表として広く世界各国に紹介されています≫
石と苔の織り成す市松模様の対比が見事な北庭「市松の庭」は、作庭以前に南の御下賜門内に敷かれていた石を市松模様に配したもので、通天紅葉の錦織りなす景観を借り、サツキの丸刈り、苔地の妙が調和するという南庭とは逆に色彩感あふれる空間となっています。
枯山水で北斗七星を表現した東庭「北斗の庭」は、元東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間です。
色彩感豊かな西庭は「井田市松」の庭。さつきの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、くず石を方形に組んで井田を意図して表現します。色彩の変化も楽しい庭です。
このように、それぞれに凝った趣向が目を惹く中で、特に気に入ったのが南庭である。枯山水というと真っ先に「龍安寺」の名が挙がるが、スケール・意匠ともにどこからみても、この方丈南庭の方が遥かに素晴らしい。
<方丈正面の南庭は210坪(693平方メートル)、東西に細長い地割に「蓬莢」「方丈」、「瀛洲(えいじゅう)」、「壺梁(こうりょう)」の四島に見立てた巨石と砂紋による荒海の表現に加え、西方に五山を築山として大和絵風にあらわし神仙境を表現しています。鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に、近代芸術の抽象的構成をとり込んだ枯山水式庭園です>
ワタクシの目には龍安寺石庭はどう観ても、ただ単純に幾つかの武骨な石が並べてあるだけの殺風景な庭に過ぎないが、この南庭の方は説明にあるように、大きさや形の様々な石と計算し尽くされたような絶妙の配置、また波を表した白砂の紋様も非常に複雑な構成を採っており、これまでに観た事のないようなダイナミックで素晴らしさに惚れ惚れと見惚れてしまった。これまで回遊式庭園に比べ、スケールの小さい枯山水のワビサビの世界はもう一つピンと来ない印象は拭えなかったものの、これを機にすっかり枯山水庭園の魅力にも嵌っていく事になるのであった。
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