2003/11/23

ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』




 ドビュッシーの活躍した1900年前後の時代は、ちょうどフランスの画壇でルノワールやモネ、ドガ、マネ(セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンらは、作風の異なる後期印象派)といった、新しい勢力が勃興してきたころである。

彼ら「印象派」と呼ばれた人たちは、当時の評論家たちからは「異端者」として扱われて来た。

ところがここに、そんな風潮の中にあってそれらの先鋭な絵画に対していたく感銘を受け、飽かずに眺め続けている熱心な芸術家が居た。

彼には音楽の才能があり、この手法を自らの得意とする音楽に活かしてみたら面白いのではないか、とインスピレーションを受けた

言うまでもなく、ドビュッシーである。

今日「印象主義音楽の旗手」として知られるドビュッシーだが、実はそれ以前にロシアのムソルグスキーが逸早く、同じ手法を採り入れていた事が明らかとなっている。

ドビュッシー自身も、自らの音楽世界の原点として、ムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』を挙げている。

が、そうしたパイオニア論争は別としても、志半ばにして早逝してしまったムソルグスキーの遺志を受継ぐような形で「印象主義音楽」を音楽史の中へと大きく展開していったのは、ドビュッシーであることは疑いがない。

そのドビュッシーの作品で、最も良く知られているのは『牧神の午後への前奏曲』だ。

この曲は、ドビュッシーが敬慕していた詩人マラルメの『牧神の午後』(『半獣神の午後』)に感銘を受けて書かれた作品である。

フランスの作曲家兼指揮者のブーレーズは

「『牧神』のフルートで、音楽の息遣いが変わった」

と述べており、近代の作品で非常に重要な位置を占める。

曲の終盤では、アンティークシンバルが効果的に使用されている。

初演は18941222日、パリにてギュスターヴ・ドレ指揮により行われた。  

革新的な語法を持ちながらも、穏やかな性格を持つこの曲は初演から好評で迎えられ、2度のアンコールに応えたという。
Wikipedia引用(後半一部)

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