神戸でのデートスポットといえば六甲山が有名ですが、この六甲山系には六甲山と摩耶山、再度(ふたたび)山があります。
六甲山には、以前に紹介した六甲山牧場やオルゴール博物館が、また摩耶山には布引の滝や布引ハーブ園、再度山には諏訪山ビーナスブリッジなど、それぞれが100万$の夜景を楽しめる神戸自慢のデートコースと言えるでしょう。
「六甲山」の由来は、既に紹介しましたので、今回は「摩耶山」と「再度山」の由来に迫ってみましょう。
摩耶山の名は、空海が天上寺に釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)像を安置したことに由来する。
古くは八つの国が見渡せるため、八州嶺とも呼ばれていた。
兵庫50山の一つ。
《摩耶山には「天上寺」という大変、由緒ある寺があります。
忉利天上寺は646年(大化2年)に孝徳天皇の勅願により、インドの伝説的な高僧法道仙人が開創したと伝わる。
後に空海(弘法大師)が渡唐した際、梁の武帝自作の摩耶夫人尊像を持ち帰り、同寺に奉安したことから、この山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。
寺号は摩耶夫人が転生した忉利天に因むものである。
鎌倉時代末期の摩耶山合戦(幕府軍対赤松氏)で知られる摩耶山城を、この寺とする説がある。
この摩耶山にある「掬星台」の由来は、以下の通りです。
標高700mに位置する。摩耶ロープウェーの星の駅の駅前にあり、広場の北側には摩耶自然観察園が隣接する。"手で星を掬(すく)える"ほどの絶景の夜景が遠くまで広がっていることからその名前の由来にもなっている。
※Wikipedia引用
もう一つの「再度山」の由来は《鍋蓋山と摩耶山の間の山を古くは摩尼山と呼んでいて、その山中には奈良時代に和気清麻呂が開いた観音霊場があった。
空海が唐に仏教を学びに渡ろうとした時、長い船旅の航海安全と学問成就を祈ってこの霊場に登り、修行したという。
唐から帰国した後、お礼のためまたこの山に登って修行した。
つまり弘法大師が二度登られたので、これ以降「再度山」と呼ばれるようになった》
このように「摩耶山」、「再度山」ともに空海が名付け親となりますが、そうなると今度は「空海さんがこの山に登る前は、どんな名前だったのか?」という新たな疑問が、出来てしまいました。
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