東院伽藍
聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。
夢殿(国宝)
夢殿(国宝)
飛鳥時代、木造。夢殿中央の厨子に安置する。長年秘仏であり、白布に包まれていた像で、明治初期に岡倉天心とフェノロサが初めて白布を取り「発見」した像、とされている(天心らによる「発見」の経緯については伝説化されている部分もあり、真相は必ずしも明らかでない)。現在も春・秋の一定期間しか開扉されない秘仏である。当初のものと思われる金箔がよく残る。

行信僧都坐像(国宝)
奈良時代の乾漆像。行信は東院の建立に尽力した人物である。極端な吊り目の怪異な容貌が特色。
道詮律師坐像(国宝)

行信僧都坐像(国宝)
奈良時代の乾漆像。行信は東院の建立に尽力した人物である。極端な吊り目の怪異な容貌が特色。
道詮律師坐像(国宝)
平安時代初期の作。この時代の仏像は殆どが木彫であるが、本像は珍しい塑造である。道詮は、荒廃していた東院の復興に尽力した人物である。
聖観音立像(重文)
聖観音立像(重文)
救世観音の背後に立つ。
絵殿及び舎利殿(重文)
絵殿及び舎利殿(重文)
鎌倉時代の建立。絵殿には、摂津国(現在の大阪府)の絵師である秦致貞(はたのちてい、はたのむねさだ)が延久元年(1069年)に描いた「聖徳太子絵伝」の障子絵(国宝)が飾られていた。太子の生涯を描いた最古の作品であるが、明治11年(1878年)に当時の皇室に献上され、現在は「法隆寺献納宝物」として東京国立博物館の所蔵となっている。絵殿には江戸時代に描かれた「聖徳太子絵伝」が代わりに飾られている。
伝法堂(国宝)
伝法堂(国宝)
橘夫人(県犬養橘三千代(藤原不比等夫人、光明皇后母)と寺伝承では伝えられるが、現在では聖武天皇夫人・橘古奈可智とする説が有力)の住居を移転して仏堂に改めたものとされ、奈良時代の住宅遺構としても貴重である。多数の仏像を安置するが、通常は公開していない。内陣は中の間、東の間、西の間に分かれ、それぞれ乾漆造阿弥陀三尊像(奈良時代、重文)が安置される。他に梵天・帝釈天立像、四天王立像、薬師如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒仏坐像、阿弥陀如来坐像(各木造、平安時代、重文)を安置する。
東院には、他に南門(鎌倉時代、重文)、四脚門(鎌倉時代、重文)、鐘楼(鎌倉時代、国宝)がある。
大宝蔵院
大宝蔵院
百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる建物で1998年(平成10年)完成した。
観音菩薩立像(百済観音)(国宝)
観音菩薩立像(百済観音)(国宝)
飛鳥時代、木造。
元は金堂内陣の裏側に安置されていた。
百済観音
百済観音
細身で九頭身の特異な像容を示す。和辻哲郎の『古寺巡礼』をはじめ、多くの文芸作品の中で絶賛されてきた著名な像であるが、その伝来や造像の経緯などは殆ど不明である。「百済観音」の通称は近代になってからのもので、明治初期まで寺内では「虚空蔵菩薩像」と呼ばれていた。
奈良時代、木造。六観音像と通称され、重要文化財の指定名称は「観音・勢至菩薩」、「日光・月光菩薩」、「文殊・普賢菩薩」となっているが、本来の名称は明らかでない。少しずつ様式の異なる3対の像から成る。東京の根津美術館には、この六観音像と酷似した菩薩像があり、もとは8体あったものとも言われる。

梵天・帝釈天立像、四天王立像(重文)

梵天・帝釈天立像、四天王立像(重文)
いずれも奈良時代の塑像で、もとは食堂(じきどう)本尊の薬師如来像を囲んで安置されていたものである。
玉虫厨子(国宝)
玉虫厨子(国宝)
飛鳥時代。もとは金堂に安置されていた、仏堂形の厨子である。建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸、絵画の遺品として重要である。透かし彫りの飾金具の下に、本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。現在、玉虫の羽は一部に残るのみで、当初の華麗さを想像するのは難しい。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、また「施身聞偈図」(せしんもんげず)は特によく知られる。現在、5年の歳月と1億円以上費用をかけて作成された復刻版が、本寺院に寄贈された。
橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像(国宝)
橘夫人厨子及び阿弥陀三尊像(国宝)
奈良時代。やはり金堂に安置されていたもの。厨子内の阿弥陀三尊像は奈良時代の金銅仏の代表作で、蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表わされている。
金堂小壁画(重文)
金堂小壁画(重文)
1949年の金堂の火災の際、取り外されていたため難をまぬがれた小壁の天人の壁画20面である。20面のうち一部が展示されている。また、仏画、仏具、舞楽面、経典なども随時展示替えをしつつ公開されている。保存上の理由から、常時公開されていない寺宝として四騎獅子狩文錦(唐時代、国宝)、黒漆螺鈿卓(平安時代、国宝)などがある。
大宝蔵殿
大宝蔵殿
大宝蔵院とは別個の建物。1939年の建設で、大宝蔵院が完成するまでは、この大宝蔵殿で多くの寺宝が公開されていた。現在は、春秋の観光シーズンのみ開館し、大宝蔵院に展示しきれないさまざまな寺宝を公開している。
法隆寺境内には、以上に述べた他に多くの堂宇や子院と呼ばれる付属寺院がある。なお、西円堂以外の堂内や仏像は原則として非公開である。
南大門(国宝)
南大門(国宝)
西園院は法隆寺の本坊(住職の居所)であり、南大門を入って左側、築地塀の内側にある。なお西院・東院の築地塀も重文に指定されている。
西円堂(国宝)
西円堂(国宝)
西院伽藍の西北の丘の上に建つ八角円堂。鎌倉時代の建立。堂内の空間いっぱいに坐す本尊薬師如来坐像(国宝)は、奈良時代の乾漆像。本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像(重文)、千手観音立像(重文)を安置する。
出典Wikipedia
出典Wikipedia
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