実家には、Classic音楽のファンだった母がコレクションをしていたレコードが山と積んであり、そこから我が音楽体験が始まった。母の最も好んでいたのが、J.シュトラウスのウィンナ・ワルツである。そのため、初めて聴いたのはClassicを聴き始めた時期と同じ、高校生の頃だった。
正月恒例のニューイヤー・コンサートなども、時折観ていた記憶がかすかにある。元々、J.シュトラウスの母国であるオーストリアという国は、ドイツと隣り合わせという地形の影響か、これまで歴史の中で数々の戦乱に巻き込まれたり悲惨な体験を繰り返し余儀なくされて来た歴史があり、そういった背景が音楽と切り離せない。
「オーストリア第二の国歌」と言われるほど、特に有名な『美しく青きドナウ』は、プロシア(ドイツ)との戦いに敗れて疲弊した国家と民衆を元気付けようと、ドナウ川を眺めているうちにインスピレーションを受けて作曲された。また「ニューイヤー・コンサート」も、第二次大戦でナチスの配下に置かれ敗戦国に位置付けられたお国にあって、やはり打ちひしがれた民衆を勇気付けようと指揮者のクレメンス・クラウスが始めた演奏会が、いつの間にか世界中から注目を集める「正月の恒例行事」として定着したものだ。
ニューイヤー・コンサートと言うと、今でこそ毎年のように指揮者が変わり「今年は、誰が振るのか?」というのがマニアの関心の的になっているが、かつてはニューイヤー・コンサートの指揮者といえばボスコフスキーという指揮者に決っていた。1955年から79年までの25年に渡り、かつてご本尊のJ.シュトラウスがそうしていたように、自らヴァイオリンを弾きながらの指揮で人々を魅了し続けたと言われる。ボスコフスキー最後の80年といえば、まだClassicを聴き始める前だったため、ボスコフスキーの指揮するコンサートのTVは目にしたことがないが、自宅にあったコレクションのうちで最初に聴いたレコードがボスコフスキーだったため、当然の如くに、この指揮者のJ.シュトラウスに慣れ親しんでいた。
さて、J.シュトラウスの数あるワルツの中でも、言うまでもなく最も有名で人気が高く、ワルツの代名詞的な曲として広く親しまれているのが、この曲だ。当初は男声合唱曲として書かれたが「くよくよするなよ!」、「悲しいのかい?」などと言った歌詞が図星を指したためか、反響は好ましいものではなかった。
そのため管弦楽用に書き直したところ、人気が上昇した。
シュトラウス自身は、この曲をさほど評価していなかった(ワタクシも他のワルツの方に好きな曲が多い)節があるが、1867年のパリ万博などで高い評価を受けたことから再評価され「第二の国歌」、「シュトラウスの最高傑作」としての名誉を博するようになった。
シュトラウスと親交の深かったブラームスは、この曲を非常に気に入っており、後年シュトラウスの娘から彼女の扇子へサインを頼まれた際、曲の一節を五線譜で書き
「残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作品にあらず」
と脇に書き添えた。
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