大相撲は本日千秋楽を迎えましたが、そのものズバリ「相撲」という地名が長浜市にあります。ただし、読みは「すもう」ではなく「すまい」。これは字面と読みの両方ともに「おもろい地名」と言えるでしょう。また、長浜市のお隣のにある東浅井郡浅井町には「相撲庭(すまいにわ)」という地名もあります。こうなってくると、なにかこの辺りで「相撲」という地名が付くような由来がありそうですが、あまり知られていない地名のためかどうも由来が見つかりません。
疑問を整理すると
1.なぜ相撲なのか?
2.「すもう」ではなく「すまい」という読みは、いかなる理由か?
3.なぜ、地名なのに相撲「庭」となるのか?
といったところですが、例えばもっともらしい想像として
1.かつてこの地で、奉納相撲か何かが行われた?
3.その地の土俵のあった庭から?
1.かつてこの地で、奉納相撲か何かが行われた?
3.その地の土俵のあった庭から?
などとこじつける事くらいは出来る余地はありそうですが
2については想像すら困難です。
2については想像すら困難です。
そこで苦し紛れに「goo国語辞典」を引いてみますと
《すまい すまひ 【〈相撲〉】 〔動詞「争(すま)ふ」の連用形から〕
(1)力や技を争うこと。すもう。[和名抄]
(2)すもうをする人。すまいとり。「小熊権介惟遠と言ふ―、息男惟成を相具して参りたり/十訓 3」
(3)「相撲(すまい)の節(せち)」の略。「―の折り、内・春宮のおはしませば/大鏡(兼家)」》
と出ており、動詞「争(すま)ふ」の連用形が「相撲」に転じた事がわかりました。更に調べていくと
《相撲(すまい)=奈良時代の地名。昔朝廷で行なわれた相撲の儀式の費用を賄う田地であったことから、その名が出た。相撲の節会(せちえ)とは、奈良、平安時代に群臣に宴を腸う儀式である。相撲とりは、諸国へ使を出して集められる。毎年7月に、宮中において褌の上に狩衣・袴を着て取り組みを行なった》
と出ており「相撲庭」の「庭」は、引用文中にあった「田地」を「庭」という表現に置き換えたのか? という想像が出来ます。
桂離宮、仙洞御所、二条城など京都の数々の名庭の造園や建築などで知られる作庭家の小堀遠州が長浜市の出身である事から、氏に所縁の深い「庭」に置き換えられたなどという経緯でもあれば情緒があるのだが・・・などと勝手に妄想を逞しゅうしていますが・・・
ところで「相撲」は「角力」という字で表される事もありますが、高知県土佐市には「角力場」(すもうば)という地名があり、Webページにこの地名の由来が出ていました。
《京間に隣接する地字。土佐相撲の起源地とみられる。元親記に、岡豊城下で家臣の久万兵庫が天下一を誇る源蔵を妻取(手首をつかむ)して、見事に投げつけるくだりが記されている。
「兵庫の面目、勝(あ)げて計(かぞ)ふべからず」とも見える。元親の土佐統一後に出来た角力場だったのであろうか。「拒、スマフ」(観智院本名義抄)とあり「いひ定めたるやうに、すみやかに酒、くだ物とりやりて、このことあがへと、あつまりて、責めののしりければ、あらがひて、せじとすまひ給けれど・・・・・」(宇治拾遺)とある。互いに負けじと抵抗し合う技が「スマフ-スモウ」だったとされる。
江戸時代、文字としては相撲・角力ともに用いられはしたが、古語「相舞(すまひ)」は、独り相撲の型が一種の舞いとして行われたのによるらしい。
「池上の力士舞ひかも白鷺の桙(ほこ)喰い持ちて飛び渡るらむ」(万葉)
相撲が「舞」の一種であった事から、どうやら「すまい」読みのルーツにも辿り着いたようです。
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