2004/03/18

マーラー 交響曲第1番『巨人』第4楽章



最終楽章の展開部に入り「楽園」への道程が示されたような「希望」や「期待」をイメージさせる。音楽は弱音主体で進み、やがて第1楽章のファンファーレが現れ、予告された場面となる。展開部と似たクライマックスが今度は頂点に達し、そのまま長いコーダへとなだれ込む。フィナーレでは高らかにファンファーレが奏されるが、圧巻は7人のホルン奏者が一斉に立ち上がって演奏するところだ。これは指揮者の演出ではなく、マーラー自身がホルン奏者に「スタンド・プレー」を指示しており、曲は「楽園」への期待を胸に、一気に勝利感に満ちたコーダへと驀進して行く。

 マーラーの交響曲の演奏時間の長さは、ブルックナーと双璧をなすような桁違いのものばかりである。いずれもが、1時間を優に超えるような大作揃いであり、かつまたオーケストラの規模もオリジナルの楽器編成を試みていくなど、後年になるにつれ次第に常識外れなまでに巨大化していった。これこそ、ヒタヒタと忍び寄ってくる死神の影に怯えながら、なお未練を断ちがたい現世に必死でしがみつこうと、七転八倒の悪戦苦闘を繰り広げてきたマーラーが、死神に挑んだ壮絶果敢な闘いの軌跡である。

11曲の中では、第1番《巨人》だけが唯一20代に作曲された作だけに、マーラーとしては例外的に「暗い死の影」が、まだあまり前面に出ていない曲である。マーラーは、この曲の後に9曲の交響曲を作るが、いずれも長大なもので独唱・合唱・大編成のオーケストラを必要とするものが続いている。時にはしつこすぎるようなところもあるが、そんな中この第1番は比較的短く(といっても、優に50分以上は要するが・・・)まとまりのある曲であり、また独創的な響きと若い生命力やエネルギーに満ち溢れている。

マーラー・ファンの耳には、規模的にも内容的にも少し物足りなさを感じてしまう感は否めないが、それでもフィナーレの清々しいまでの爽やかさなどは、以降の作品では殆どお目にかかることの出来ない「マーラーの青春」の金字塔と言ってもいいだろう。あたかも、マーラーの叫び声が聞こえて来るような若々しい音の響きに強く胸を打たれる。

「やがて、私の時代がやって来る・・・」

と自ら予言した通り、死後(1911年)およそ半世紀以上の経過の後に、世界的な「マーラー・ブーム」が巻き起こった。マーラー・ビギナーや若い感性をもつ人ならば、この『第1番』から聴き始める事で、必ずやマーラーの魅力に目覚めるはずである。

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