2004/03/19

トアロードという神戸ロマン

 生まれ育った地元の繁華街では、田舎に良く見られるように「銀座商店街」、「有楽町」等、あちこちから拝借したような、つまらない名前ばかりが付いていました。そこへいくと、京都では「祇園」、「先斗町」、「花見小路」といった洒落た地名や通り名が犇いていましたし、また大阪でも「道頓堀」、「心斎橋」、「千日前」といった印象深い地名や、水の都らしく「xx」、また「xx」といった独特の地名が数多く見られ、大阪らしさを醸し出していました。

しかしながら学生当時の若い感性に訴えかけたのは、何といっても神戸の「トアロード」とか「フラワーロード」といった横文字地名です。

(さすがに異人街らしい、ハイカラな名前があるもんだな〜)

と名前を聞いただけでも、胸が高鳴ったものでした。

で、そもそも「トアロード」とは、一体なんの事か?

《「トアロード」と言う名前は、あくまでも通称です。そして面白い事に、その表記方法も様々なのです。トアロードを歩くと、幾つもの「トアロード」に出会います。9つの道路標識、6つの地図スタンド、3つのアーチ、2つの絵地図板があります。これらの表記はローマ字ありカタカナありで、またその表示方法も様々なのです。まずローマ字ですが、殆んどが「TOR ROAD」と、全て大文字で表記されています。ただひとつだけ「Tor Road」と、表記しているものがあります。

次にカタカナですが「ROAD」の部分は、全て「ロード」と表記されています。  しかし、問題は「TOR」の部分です。「トア」、「トーア」、「トアー」とがあり「一体、どの名称がほんと?」となります。が、初めに述べましたように「トアロード」は、あくまで「通称」なのです。この通りの名称は神戸市が決めたわけでもなく、法律で名称が定められているわけでもありません。しかし非常に神戸らしい名称で、この名称に現在の神戸の歴史が凝縮されているのです。

ではこの名称の由来は、一体どうなっているのでしょうか。これについては、実際のところ定かではありません。ここにトアロードの神秘性があり、ロマンがあります。

・ホテル説・・・この説が、最も有力とされています。トアロードの最北端、現在の「神戸外国倶楽部」の場所に「トアホテル」がありました。19世紀末の神戸には、既に旧外国人居留地に質・規模ともに欧米並の立派なオリエンタルホテルがありましたが、もうひとつそんなホテルが欲しいと英・独・米・仏の人々の共同出資で、1908(明治41)にトアホテルは完成しました。当時の「トアロード」は「三宮筋通」と呼ばれていました。しかし、この「トアホテル」から外国人居留地へと続き、外国商館の生活道路である事から「トアロード」と呼ばれるようになった、とする説です。

英語説・・・「トアロード」の「TOR」を英語で発音すると「トー」もしくは「トール」となります。この言葉は、辞書で「(でこぼこの)岩山、小さい岩山」とあります。確かに、トアロードの最北端「神戸外国倶楽部」は高台にあり、神戸を一望することができます。六甲山系の花崗岩の岩肌が居留地の外国人が家路に帰る時に、この坂道を上りながら母国の「TOR」を思い出して、呼び出したのかもしれません。

ドイツ語説・・・今度はドイツ語説です。この「TOR」、ドイツではよく使われる言葉なのです。それもそのはず、ドイツ語で「」と言う意味に使われているのです。トアロードの南端、居留地に門があったと言われています。ここからはあくまでも想像の世界ですが、北に彼ら外国人たちの住まい(現在の北野異人館)があり、そこから彼らの仕事場である居留地まで馬車でご主人を迎えに、ご婦人がこの坂を下りていきます。勿論、帰りはご主人が馬車を操り、坂を駆け上がっていきます。そんな彼らを、羨ましそうに見ている人々・・・居留地とトアロードを区分するこの「門」の中では、このような光景があったのではないでしょうか。そして、この門から続く坂を「トアロード」と呼ぶようになった。

日本語説「東亜」・・・「東亜」は、東アジア地域を指す日本語です。東洋一のホテルを自負していたホテル側も、積極的に「東亜ホテル」を用いていたといいます。また、戦時中「トアロード」も、当時の風潮から「東亜道路」と表記された時期もあります。そういった多重の意味合いから「東亜」が由来とも考えられるのです。

鳥居説「TORII・・・「トアホテル」のマークは、鳥居がデザインされたものでした。庭内にも、鳥居が祀られており、現在の「神戸外国人倶楽部」にも、鳥居があります。そのTORIIのスペル、最初の3文字をとったと言う説。

 残念なことに、名称の由来とされている「トアホテル」は1950年(昭和25年)に焼失し、また、その由来の確たる証拠となるような記録・文献も定かではありません。それでも、「TOR」の響きに導かれた、このそれぞれに謂れを持った説が物語るのは、国際性に彩られた当時の情景であり、まちづくりを担っていた各国の人々の諸相です。神戸らしい成り立ちを持つ「トアロード」。浜手から山手を結ぶ一直線の坂道は、その形を変えず、人々の歩みの絶えない場所として現在に至ります。

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