2004/05/04

ドヴォルザーク 交響曲第8番(第2楽章)

 


 《ドヴォルザークを見い出したのは、ブラームスでした。そのためドヴォルザークもブラームスを見習って、古典派のきちんとした音楽を書こうと努力しました。しかし、ベートーヴェンが築き上げた古典派シンフォニーの世界は、完全に行き詰まっていました。最大の問題点は「主題」の扱いにありました。

ベートーヴェン以前の作曲家がソナタ形式の音楽を書こうとすれば、まず何よりも魅力的で美しい第1主題を生み出すことに力が注がれました。しかしベートーヴェンはそれとは全く異なる手法で、より素晴らしい音楽が書けることを発見したのです。第5番「運命」は、その典型です。冒頭の4つの音が種子となっていて、それが変化・発展していくことで音楽としての形が作り上あげられていきます。

フルトヴェングラーは、この運命の冒頭を「楽章全体のモットー」だと述べていますが、このような簡潔な4つの音から誰も想像しなかったような、巨大で劇的な音楽が構築できることを発見したのがベートーヴェンでした。それは主題と呼ぶのも憚られるほど、不完全で中途半端なものです。しかし、その不完全さはその不完全さ故に、それ以後の変化・発展に向けた可能性を内包することが出来たのです。主題の美しさは、一見すると魅力的なように見えますが、その美しさは美しさ故に己の中で充足してしまいます。しかし、たった4つの音で出来た「モットー」ならば、いかようにでも変化させることが可能です。モットーのリズムを執拗に反復したり、その旋律を変形・重複させたり、さらには省略することで切迫感を演出することも可能性なのです。

ベートーヴェンは、この不完全な4つの音を徹底的に活用して、誰も想像しなかったような音楽を築き上げたのですベートーヴェンは、音楽における「歌謡性」をバラバラの破片に解体し、その破片を徹底的に活用することで巨大な建築物を作り上げる手法を編み出してしまったのです。つまり、ベートーヴェン以前の主題の美しさに頼るような手法では、ベートーヴェンの世界を乗り越えられないことが明らかとなったのです。それは、ソナタ形式の行き着くところまで行き着いた姿でもありました。それが古典派シンフォニーの行き詰まりの正体だったのです。

それでも、ブラームスはベートーヴェンを継承しようとしました。しかし彼の作品を聴けば、主題はそれ自体で十分に美しく自立しています。つまりブラームスは、ベートーヴェンほどには徹底して主題を活用することが出来なかったのです。行き詰まりは、行き詰まりのままだったのです。そして、そのブラームスに見いだされたドヴォルザークとなれば、その壁に体当たりしていくことは無謀としか思えなかったはずです。それでも、彼は頑張りました。その最大の労作が、第7番の交響曲でした。それは、師であるブラームスの4つのシンフォニーにも匹敵するほどの、優れた古典派のシンフォニーでした。そう「ベートーヴェン」ではなく「ブラームス」に匹敵する作品だったのです。もちろん、それでも凄いことではあるのですが、その延長線上に己の未来がないことも明らかでした。

それ故に、この古典的なシンフォニーを生み出した後、彼は憑き物が取れたように新しい道を歩き始めます。それが「イギリス」とか「コガネムシ」と渾名のついた、この第8交響曲です。

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