2004/05/01

御在所岳と湯の山温泉

御在所岳は、愛知県の香嵐渓と並び東海地方屈指の紅葉の名所である。ロープウェイに乗って見下ろす朱・黄・緑に染まった山肌は、素晴らしい迫力である。そのほかにも、ハイキングや登山に彩りを添える効果もあり、例年、10月中旬~11月下旬ほどのシーズンには、3050万人の人が訪れる。そのため、国道477号線や、湯の山温泉は混雑する。ドウダンツツジやカエデ、モミジなどが咲き誇る。

御在所ロープウェイとは、三重県北部の菰野町にある湯の山温泉から鈴鹿山脈の主峰である御在所岳山頂(標高1,212m)を結ぶロープウェイ。三重交通子会社の御在所ロープウエイ株式会社が運営しており、ロープウェイ湯の山温泉駅と山上公園駅間約2.1kmを結ぶ。両駅の標高差は約780m。運行システムはゴンドラ38台(最大)を使用する複線自動循環式である。1959429日に開業した。

空中散歩の途中には、温泉街や四日市市街地、伊勢平野、伊勢湾などが望める。また御在所岳の美しい自然は、四季折々に姿を変え、春はコブシやミズバショウなどが咲いて、夏には深緑、秋は山を彩る美しい紅葉、冬には白銀の世界と樹氷など、見事な景観を見せる。終点の山上公園は、休憩所もあって便利。御在所岳の頂上へ行くには、ここからさらにリフトで8分ほど上る。


かつては、山上公園駅近くに山上ホテルや県営御在所ユースホステル、日本カモシカセンターなどもあったが、これらは閉鎖された。なお、ホテルは現在レストランとして利用されている。

近鉄四日市駅から近鉄湯の山線で終点・湯の山温泉駅下車。駅前から三重交通バスに乗車、三交湯の山温泉停留所から徒歩10分。なお、三交湯の山温泉へは、名古屋駅(名鉄バスセンター)から同じく三重交通による直通高速バスも運行されている。

自動車の場合は、東名阪自動車道四日市インターチェンジから国道477号・県道577号経由。駐車場も完備している。滋賀県側から国道477号で武平峠を越えて来る方法ある。

かつての系列
新湯の山観光ホテルが200011月まで、ロープウェイ湯の山温泉駅の麓の方で営業していたが、閉鎖され建物も解体された。

湯の山温泉は、三重県三重郡菰野町(旧国伊勢国)にある温泉で、関西、名古屋の奥座敷として発展してきた。鈴鹿山脈の麓に位置しているため、自然が豊かである。歓楽街化していないので、ファミリーの行楽向けから、鈴鹿山脈のレクリエーションやレジャーの拠点、日帰り旅行も可能と様々なニーズにこたえてくれる。御在所岳の山麓に位置しているために、春には桜、夏には新緑が、秋には紅葉が、冬には雪景色が楽しめ、四季折々の景観に富んだ温泉である。


三重県北部の最高峰、御在所岳の東麓に位置し、三滝川河畔の渓谷に20軒ほどのホテル、旅館がひしめき合う。山の斜面に建てられているため、規模は小さく感じるが、設備は整った大型宿泊施設が多く、収容人数は多い。一帯は鈴鹿国定公園に指定されており、名古屋・大阪といった大都市圏とのアクセスに優れながらも、豊かな自然に恵まれている。ゆえにレクリエーション、レジャー、スポーツの拠点として発展。同温泉地の位置付けも手軽な行楽向け温泉地となっており、日帰り入浴が可能な旅館が多い。

なお、温泉地からは御在所岳に登る御在所ロープウェイが運行しており、夏場は避暑地としても賑わいを見せる。同温泉郷を代表する旅館の一つであるグランドホテル向陽(現、彩(いろどり)向陽)には、昭和天皇などの皇族が宿泊したことがある。また、文豪志賀直哉は湯の山温泉に滞在し、短編『菰野』を執筆している。

歴史
養老2年(718年)に発見された古湯で、傷ついた鹿が癒していたことから鹿ノ湯ともいわれていた。古くから名古屋・中京や関西の奥座敷として発展してきた歴史を持つ。しかし、決して湯量は多くなく、過去に4度の涸渇があったという。また明治時代には他温泉との競合に敗れ、わずか一軒しか残らなかった時代もある。後にアクセスの良さに目を付けた四日市鉄道(現在の近鉄湯の山線)が鉄道を敷設、奥座敷としての地位を復活させ、次第に旅館も増加していった。その後、自然と一体化した近郊の保養温泉を標榜、歓楽色は出さないまま今日に至っている。

 この時は、残念ながら日帰りだったが、いつかは泊まりで温泉を堪能したいものだ。

2004年に発生した温泉偽装問題では、水道水を利用しているにも関わらず温泉であると取れる表記をしていた旅館があったと報じられた。
出典 Wikipedia

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