ムラカミとともに、保育園からすっと同じところに通い続けているのが、このシモッチである。小学生の時から、既に太めで大柄の体をしていたシモッチ。当時は「シモちゃん」と呼ばれていたが、中学生となりさすがに「シモちゃん」と呼ぶのに気恥ずかしさを感じ、命名したのが「シモッチ」だ。思いはみな同じだったらしく、この渾名はあっという間に男子生徒の間に浸透していった(シモッチの方でも「にゃべちゃん」が気恥ずかしくなったか「にゃべ」と呼ぶようになっていた)
このシモッチ、体の成長はいたって順調で、小・中学を通し背の低い順に並んだ時には常に1番後ろか2番目で、子供にしては珍しく横幅もかなりあったため、中学生のころは一見して柔道部員といったイメージだったが、実際のところは運動音痴で美術部に属していた。そして、シモッチと訊けば『B中』生の誰しもが真っ先に思い浮かべるのは、芸術的才能の高さである。手先の器用さは学年全体でも1、2を争うほどで、絵も工作もとにかく笑ってしまうくらいに巧かった。
こうした芸術分野におけるコンテストやコンクールでは勿論入賞の常連で、大はA市の美術展・工作展での入選から、小は街のプラモデル屋の店頭ショウウィンドウを飾るに至るまで、輝かしい実績を重ねていた。
中学生の頃には、自宅でラジオやらラジコンやらを自作していたほか、アマチュア無線や「ハム」といった難しげなものにもかなり本格的に取り組んでおり、よく遊びに行った自宅の部屋にはそうした自分の日常にはまったく縁のなかった、雑多な機械の細かいパーツなどが所狭しと部屋中に散らかっていたものである。あの巨体を丸めて細かい手作業に勤しんでいるシモッチの姿は、なかなかユーモラスな光景であった。
こういった芸術家タイプの例に漏れず、このシモッチもかなり気難し屋のところがあり普段から無口で社交性には欠けたが、不思議と小学生時代からウマが合い、お互いにとって数少ない一貫して心を許せる貴重な関係である。成績抜群のスポーツマンながら、こと芸術的才能に関しては凡庸だったにゃべと、スポーツは苦手で成績も真ん中辺りに位置しながら、芸術性では誰にも負けないシモッチ。まったく好対照であったが故に、互いに己に欠けた部分への憧れが磁石の両極のように、2人を引き寄せあったのであろう。
にゃべとムラカミ、マサの3人はともに家が近く、小学生時代からの仲良しトリオだったが、この頃にゃべっちがより親しくしていたのが、オグリとイモ、そしてシモッチだった。
低学年時代から、成績優秀でリーダー役の常連だったムラカミやマサとは違い、野球狂のスポーツマンらしくサッパリとした烈しい気性のオグリと、同じくサッカー少年のイモの体育系2人。一方、芸術家肌のシモッチは絵や工作が滅法巧い個性派であり、そちらの方面はあまり得意ではなかったにゃべは、彼の才能に強く惹かれた。
(勉強なんてモノは、努力次第である程度のレベルには上げることは簡単だが、スポーツや芸術的な才能はなんといってもセンスがモノをいう。元々、センスのないヤツは、幾ら頑張ってもダメなのだ。だからこの分野の才能こそは、もっと高く評価されてしかるべきである)
というのが子供の頃からの持論だっただけに、成績では最もパッとしないながらも、シモッチには一貫して尊敬の念を持っていた。
学校では、大抵どのクラスにも手先の器用なヤツが2~3人はいるものだが、そんな中でもシモッチは遥かに群を抜いたレベルだった。小学生の時から、アマチュア無線やら「ハム」やら色々とやっていたが、中学時代には早くもラジオを自作してしまうほどの器用さである。
時折「部品を買いにいくぞ!」とかいって、名古屋のアメ横まで何度か付き合わされたものだった(もっとも名古屋に行きたかっただけで、付いていきながらこのシモッチが何をやろうとしているのかは、さっぱりわからなかったが)
またシモッチは、絵も滅法巧かった。美術の写生から落書きのマンガに至るまで、何を描かせてもまったく飛び抜けて巧いのだ。この頃、毎年届く年賀状にはハガキ一杯に、干支の動物がプロレス技をかけている絵柄などが描いてあり、毎年これを見るのを非常な楽しみにしていたことは、言うまでもない。
そして芸術的才能といえば、このシモッチにもヒケを取らなかったのが、兄のマッハだ。にゃべ家唯一の左利きであったマッハは、両刀(手)使いで子供の時からアニメキャラの絵を家の壁や襖などに描きまくっていたが、どれもが本物かと見紛うほどである。工作なども、何をやらせても巧かった。
マッハの場合、運動音痴のシモッチとは違いスポーツも万能だったが、同じくスポーツは水泳を除きほぼ万能だったにゃべっちが憧れたのは、もっぱら芸術分野の才能であった。
「なんで兄弟なのに、オレには巧く出来んのか?」
などといつも羨ましく思ったものだが、面白いもので同じ兄弟でも絵や工作は抜群に巧かったマッハも字だけは何故かヘタクソで、対するにゃべっちとミーちゃんの方は、書道家(かつては自宅で書道の先生をしたのも惜しいくらいに、その世界ではかなり知られていたらしい)でもある父譲りの達筆(特にミーちゃん)自慢ながら、絵や工作の才能にはまったく恵まれなかった。
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