2004/05/31

ハイドン 弦楽四重奏曲第77番『皇帝』(第1楽章)






  『皇帝』という副題は、第2楽章が「オーストリア国家及び皇帝を賛える歌」の変奏曲であることに由来する。ハイドンは、エステルハージ家楽団の楽長(副楽長を経て昇進)として約30年間務めていたが、当主の死亡とともに解雇されイギリスへ旅立った。一時ロンドンの永住権獲得を考えるも、故郷と故郷の友人たちを思うあまり、結局オーストリアへ戻ることになる。

イギリスに滞在中、ハイドンはイギリス人たちが国歌を口ずさみ、国家への忠誠を心に深く抱く様を目撃し感銘を受けた。時同じくして、オーストリアはナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍の侵略に脅かされていた。ハイドンは故郷の存続を他国から救い、人々にオーストリア人としての誇りを取り戻させ励ますため「オーストリア国歌」制定を提唱し、作曲に取りかかった。

この時に作曲した旋律を77番目の弦楽四重奏曲、つまり後にハイドンの最高傑作と謳われ『皇帝』の称号を与えられることとなる弦楽四重奏曲に組み入れ、変奏曲として第2楽章とした。
出典Wikipedia

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