Classic音楽には、様々なジャンルがある。楽器編成から言えば、大はオーケストラものから小は器楽ソロまであり、当然の事ながら神ならぬ作曲家にとっては、得意や苦手のジャンルがそれぞれにある。オーケストラものが得意の作曲家として有名なのが、ムソルグスキーのピアノ組曲『展覧会の絵』を煌びやかな大曲に作り変えたラヴェル、同じくムソルグスキーのピアノ曲『禿山の一夜』を色彩感溢れるオーケストラ曲にしてみせたリムスキー=コルサコフ、そして色彩的オーケストラの達人としてはリヒャルト・シュトラウスも忘れてはならない。
一方、シューベルトやシューマンなどは、オーケストラ曲にも有名なものが幾つもあるにはあるが、どちらかといえばピアノや歌曲などの小品に持ち味を発揮する人で、それをもっと極端にしたのが「ピアノの詩人」として有名なショパンである。
ショパンの場合は、ピアノが大得意だったのもさることながら、オーケストレーションが苦手だったらしく、そのためオーケストラで聴かせる曲といえば、2曲のピアノ協奏曲に限定される。
『ピアノ協奏曲』といえば、数ある器楽協奏曲の中では最もメジャーなジャンルだけに、有名作曲家の殆んどは例外なくこの分野に傑作・力作を遺しているが、それらの曲を聴き親しんだ耳にはショパンのそれは、風変わりというか物足りない思いがするかもしれない。
『ピアノ協奏曲』と言うからには、当然の事ながらまず主役として魅力的なピアノソロがあり、それを引き立てるオーケストラとのバランスが車の両輪のように噛み合ってこそ、傑作や名作が生まれる。ところが、ショパンのそれは主役のピアノのパートは、確かに「ピアノの詩人」らしい情緒に溢れた素晴らしい傑作であるのに対し、オーケストラの方は正直、他の一流どころの作曲家との比較においては、イマイチとしか言いようがないのである(それを惜しんで、指揮者がオーケストレーションを編曲して、豪華にする場合もある)
殊にロマン派以降、大規模かつ複雑になっていった各種の『ピアノ協奏曲』に比べると、あたかも「ピアノ・ソナタ」に無理矢理伴奏をくっ付けたような、どうにもサマになりきっていない感じを受けてしまうのだ。
第1楽章だけで演奏時間約20分と、ショパンの作品の中では最も規模が大きいが、決してそんな長さを感じさせない。ロマン派のピアノ協奏曲のご多分に漏れず、長い序奏に続いて主役のピアノが登場してくるのは、実に4分後である。
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