2004/05/13

ドビュッシー 交響詩『海』(La Mer)第1楽章



「海の夜明けから真昼まで」 (De l'aube à midi sur la mer)
 題名の通り海の情景を表した標題音楽であり、交響詩と呼ばれることもあるが、作曲者自身はこの作品に「管弦楽のための3つの交響的素描(エスキス)」の副題を与えた(日本語版のCDでは「交響詩『海』」或いは「海 - 管弦楽のための3つの交響的素描」といった表記が見受けられる)。

ドビュッシーの最高傑作の1つであるばかりでなく、印象主義音楽を代表する作品であるとともに、近代音楽史上でも重要な作品の1つである。この作品の次作にあたる、管弦楽のための『映像』の作曲中に、ドビュッシーは「音楽の本質は形式にあるのではなく、色とリズムを持った時間なのだ」と語っているが、本作でもこの言葉を裏付けている。

この作品は1903年の夏に着手された。この頃ドビュッシーは、ブルゴーニュ地方にある妻の実家にいた。この年の912日付の手紙でアンドレ・メサジュ宛に、この作品に取りかかったこと、この作品が「サンギネールの島々の美しい海」「波の戯れ」「風が海を踊らせる」という副題を持つ、3つの楽章から構成されることを伝えている。

同じ手紙の中で、彼は

「自分が今いるブルゴーニュから海は見えないが、記憶の中の海の方が現実よりも自分の感覚には合っている」

と述べている。

なお、実際に書き上がった作品では、これらの副題は外され、「海の夜明けから真昼まで」「波の戯れ」「風と海との対話」というタイトルが付された。

しかし、実際にはこの作曲は難航した。ドビュッシーはオペラ『ペレアスとメリザンド』の成功で作曲家としての名を楽壇に轟かせた一方、私生活では1904年に妻リリーを捨て、著名な銀行家の妻であったエマ・バルダックと駆け落ちをするというスキャンダルを起こしたのである。これはリリーの自殺未遂にまで発展し、友人の多くがドビュッシーを離れ、彼は世間の批判の矢面に立たされる結果となった。

皮肉にもこの作品は、その後の生涯の伴侶となるエマとの生活における第1作となった。完成したのは190535日、イングランド南部、ドーヴァー海峡に面したイーストボーンの海辺においてである。
出典Wikipedia

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