2004/05/06

ドヴォルザーク 交響曲第8番(第4楽章)



出典 http://www.yung.jp/index.php

 《冒頭のチェロが歌い出すエレジーも、ボヘミアの古城を思わせる第2楽章も実に美しい音楽です。ベートーヴェンがスケルツォ形式にしてしまったものを再び舞曲形式に戻した第3楽章も、一度聞けば絶対に忘れることのできない美しさです。ベートーヴェンがバラバラに分解してしまった「歌謡性」をもう一度交響曲の真ん中に据えることで、ベートーヴェンとは全く異なる交響曲の世界を創り上げようとしたのです。勿論、この方向性はドヴォルザークだけによって切り開かれたのではありませんが、彼の功績はとても大きなものがありました。

ボヘミアに生まれたドヴォルザークにとって、音楽とは元々その様な歌謡性に満ちたものだったのです。彼の中に満ち溢れるその民族の歌謡性を抑えることなく、積極的に交響曲の中に盛り込む方向へと舵を切ったのです。しかし、ドヴォルザークは耳あたりのいいメロディを次々と接続しただけの凡百の作曲家とは異なり、それらを古典派のフォルムの中にしっかりとした形で再構築し、交響曲というスタイルにまでに昇華させる腕を持っていたことを忘れてはいけません。

基礎・基本はとても大切です。ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は「若い頃、物理学の基本を学ぶために涙の出るような努力をした」と述べています。その様な努力を積み重ねられない連中ほど、安易に「個性」や「独創性」を口にします。ドヴォルザークの個性は、際立っています。そのメロディーラインの美しさは、一度聞けば「これぞドヴォルザーク!」と誰もが納得する個性が刻印されています。しかし、その個性はきっちりとした古典派のフォルムによって基礎が築かれているのです。

彼もまた、若い頃に古典派音楽の基本を身につけるために涙の出るような努力を積み重ねた後に、ベートーヴェンとは異なる新しい交響曲のスタイルを切り拓いて行ったのです。それ故に、この後アメリカに渡って黒人やネイティブアメリカンの新しい音楽に出会った時も、それらを交響曲という形で昇華させることが出来たのです。こうして古典派のフォルムは維持しながらも、ベートーヴェンが解体した歌謡性を真ん中に据えた民族的な交響曲というスタイルが、大きな枝として発展していくことになります》

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