奈良といえば朝鮮半島からの渡来人が渡ってきた地として、また「ナラ」という発音そのものが朝鮮語で「国」を現す「ナラ」から来たという「俗説」が一時期広まった事があった。
《「奈良」が朝鮮語だという俗説がある。現代朝鮮語で「ナラ」というと「国」のことである。古代の渡来人たちが、自分たちの国を作るんだという意気込みをこめて、都を「ナラ」と名付けたという。しかし考えてみると、奈良という地名と現代朝鮮語の「ナラ」を結びつける論拠は何もない。ところがこの説は、祭りの「ワッショイ」という掛け声が朝鮮語の「ワッソ(来た)」から来ているという説とともに、在日韓国・朝鮮人の間では広く普及している。
なぜ普及したかというと、感激が欲しいからである。異国で不当な扱いを受けていればいるほど、感激は大きい。その気持ちは分かるし、冷や水をかけることには申し訳ない気持ちもあるが、私はどちらも信じることはできない。掛け声などは何とでも解釈できるし、地名の語源の信憑性を高めるには他に手続きが必要なのである。
まず考えられるのは、同じ地名を集め地形などの共通点を探す事である。「ナラ」という地名は、大和の奈良以外にもこの日本列島に沢山ある。「奈良田」とか「楢川」というように「ナラ」を含む地名まで含めると、さらに多数に上る。
それらの土地に共通なのは、何らかの意味で「平らな所」や「なだらかな地形」の所だという事である。「ナラ」の近くには、対照的に「サガ」という地名が多い。古文で「さがし」といえば「けわしい」という事である。
奈良時代の文化を築く上で、朝鮮からの渡来人が大きな役割を果たした事は事実だが、それが「ナラ」朝鮮語説を裏付ける根拠になるわけではない・・・》
《「なら」の音は、朝鮮語の「那(な)=くに」、「羅(ら)=くに」で、この地に渡来した朝鮮人が郷里を懐かしんで、この地を「国々」と名づけたとする説がある。が、移住や植民によって新開拓地などに付けられる地名には、入植した人々の郷里の地名の一部を使用して北海道の「新潟団体」や「秋田団体」、北米の「ニュ-ヨ-ク」や「ニュ-ハンプシャ-」などのように名づけられるのが普通で、単に「国々」という漠然とした概念を地名とする例は全く皆無だった。このことからも、奈良が朝鮮語の「那・羅=くにぐに」から名づけられたものではないことは明らかであった。しかし、反論するには十分説得力のある奈良の語源を明らかにしなければなりません。
《作家の金達寿(キム・タルス)氏は、軍隊が踏み均したから「なら」とついたという説話を持ち出して来て、それと対照させて朝鮮語説の信憑性を高めようとしているが、これはフェアではない。そもそも、記紀や風土記の地名説話というのは神話に合わせて地名を意味付けようとしたもので、元々信用出来ないのである。
例えば「信太(しだ)」という姓は、今の茨城県の旧郡名(明治から河内郡と合併して稲敷郡)に由来するが、常陸国風土記逸文には『軍隊が帰ってきた時に風がなくて、旗がしだれていたから「しだ」とついた』などと書いてある。こういうのを「語源俗解」という。「ねずみ」は屋根裏に住んでいるから「やねずみ」が縮まったものだとか、寝ないで見ていないと何をするか分からないから「寝ず見」だというのがその例である。奈良は別に軍隊が踏みならさなくても、元々平らな盆地にある。「平城京」という別名にも、その語源意識が残っているのかも知れない。奈良市の北にある奈良山という丘陵地帯は、万葉集では「平山」と表記されている》
《朝鮮語の「ナラ(国)」については、訓民正音諺解などのハングル創製時の文献に「nara」ではなく「narah」と表記されていたという問題もある。日本の室町時代にあたる15世紀にもなって、末尾のH音が残っているという事はさらに古くはK音であり、古く朝鮮語を取り入れたのならば「ナラカ」というような形になるはずだという指摘もある。
この問題について、確かなことは二つしかない。
・日本に「ナラ」という古都がある
・現代朝鮮語で「国」のことを「ナラ」という
この二つの事実を確かに結びつける論拠は、実は何一つない》
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