ヘルマン・アーベルトが「雲のない春の朝」と評した清明な弦楽の旋律にクラリネットのアルペジオが応えて始まる。
《もしもモーツァルトが、クラリネットの名手アントン・シュタードラーと出会わなかったら・・・それは、ぞっとして背筋が寒くなるような想像です。彼のクラリネット五重奏曲やクラリネット協奏曲が、この世に存在しなかったかもしれないのですから。
モーツァルトは、1781年にザルツブルグでの宮廷音楽家生活に別れを告げ、フリーの音楽家としてウィーンに移住します。それまでにも、演奏旅行先のマンハイムやパリでクラリネットとの出会いがあり
「ザルツブルグのオーケストラにも、クラリネットがあったなら・・・・」
といった手紙が残されている通り、当時としては目新しいこの楽器の印象は、彼の心に刻まれていました。
そしてウィーンの宮廷音楽家シュタードラーの、その甘美で柔らかいクラリネットの音色との出会いが、モーツァルトの作品に大きな変化をもたらします。以後、この楽器が交響曲、ピアノ協奏曲、或いは室内楽作品にも徐々に使われるようになるのは、殆どがシュタードラーの影響だといわれています。
こうした中で生み出されたのが、モーツァルト自身が「シュタードラー五重奏曲」と呼んだこの作品です。
≪総てに破綻がない。あるべき音が総て最初からあるように、予定調和的にそこに在る。まさに「神の御技」と半ば呆然としているうちに、不意に最初のテーマが現れて楽章が閉じられる≫
≪総てに破綻がない。あるべき音が総て最初からあるように、予定調和的にそこに在る。まさに「神の御技」と半ば呆然としているうちに、不意に最初のテーマが現れて楽章が閉じられる≫
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