2004/04/21

転機(1)


 大学を中退した後、10年近く勤め続けたマスコミ業界から足を洗いIT業界に転身したのは、そろそろ30を迎えようかという時期だった。まったくの異業種からIT業界に転身と言えば、いかにも「華麗なる転身」といったイメージに映るかもしれない。が、現実は、そのようなキレイ事ではなかった。

普通の会社勤めで30歳といえば大卒でも10年近い勤続年数であり、個人差はあるものの仕事に自信をつけて主任やリーダークラスとなり、バリバリと活躍しているような年齢である。

マスコミ時代は自分ひとりとはいえ、それでも曲がりなりにも一国一城の主には違いないわけだから、同年代のサラリーマンが主任やリーダークラスであっても「所詮、ヤツラは雇われ者の身・・・」と歯牙にもかける事はなかったが、今度は30を前にして一兵卒としての新たなスタートだから、同年代と比較して大きく出遅れた感は否めない。しかもIT業界と言う、実力や実績が総ての世界である。

当然の事だが、周囲は情報系の専門学校や理工系の大学出の者(早い者は、高校から既に情報系)ばかりだから、同じ歳なら既に単純計算でも10年以上の差が付いている上に、彼らが体系だったしっかりとした教育を受けてきた事を思えば、なおさら天文学的な彼我の差がある事は、しっかりと認識しておかなければいけなかった。

なにせこちらは、それまでPCすらロクに触った事のない、まったくの「ド素人」なのである。加えて高校、大学と一貫して「文系」畑で理系とは一切無縁であるばかりでなく、悪い事にインチキ宗教が世間の注目を浴び始めていた頃で、大学の「哲学専攻」が色眼鏡で見られるなど、逆風が吹いていた時代である。

「なんでまた、哲学からITへ・・・?」などと言われ、改めて「哲学科」というのは最も就職に不利な学科である事を、何度痛感させられたものか。そうした中、仕事を選んでいる余地とてあろうハズもなく、偶々「大したスキルは必要ないから」と誘われ「それならば、取り敢えずやってみるか・・・」とワケのわからないままに、名古屋のNTT某でホスト(汎用機)系の運用管理の仕事に携わったのが、我がIT経歴のスタートだった。

 今となっては、あれが「IT経歴」と言えるかどうか怪しい気もするが、それでもIBMの大型汎用機「MVS」(Multiple Virtual Storage)のような、あまりそこらにない機種はともかくとして、生まれて始めてunixのシステムに触ったのが、この現場であった事は紛れもない事実ではある。告白すればunixはおろか、それまでWindowsPCにすらまったく触った事がなかったくらい、コンピューターとはまったく無縁の生活をして来ていたのだ。

unixをやったとは言え、この時点ではまだコマンドの意味すら十分に理解せず、ただSEの作ったコマンドをわけがわからないままに機械的に叩くのみだったが、それでも「unixに触れていた」事に変りはない。ともあれ、この現場で一年を過ごしたものの生来の勉強嫌いに加え、たいしたスキルがなくても出来てしまう仕事も手伝って、殆ど得るものもなく一年の契約が終了したところで、超ワンマンで皆から煙たがられ元々肌が合わなかったクライアントの責任者(S部長)と大喧嘩になった。挙句には、教育プログラムの手順ミスによって、休日に「緊急度・最高」の障害メールがSEリーダー(客先企業の課長)の携帯に送られるという、大失態をやらかしてしまった。

責任者のS部長から、矢のように激しく責任を問われるに及び

「たかだか教育プログラムの事で、オーバーな・・・」

と大喧嘩をした挙句に「責任を取るため」契約終了で合意したのは、むしろ幸いだったと思っている。そうして後先も考えずに啖呵を切って辞めたはいいが、その後の仕事がなかなか見つからなかった。

当初は

(あんな生産性のない職場で、日々時計と睨めっこをしながら漫然と、時間の切り売りをしているような職場は、辞めて正解だったのだ・・・もっと、実戦で使える技術が身に付く現場でなければダメだ・・・)

と考える事に何の疑いもなかったが、考え方としては間違ってはいなかったと信じている。が、実際に数ヶ月もの失業の憂き目に直面すると

(取り敢えずあのまま我慢しておけば、当面の収入は確保できたわけだから、次の仕事が見つかるまでは我慢すべきだったか・・・)

という、自らのキャリアプランという理想と「実務経験」が問われる厳しい現実とのギャップを、ここで痛感する事になった。

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