この楽章は、三部形式で書かれている。オーケストラの繊細な伴奏に乗ったソロ・ヴァイオリンの抒情的な歌わせ方は、まさにメンデルスゾーンならではの美しさと言える。中間部は短調に変わり、曲はそのまま第3楽章へと繋がっていく。ベートーヴェンやブラームスの曲に比べスケールが小さく、音楽自体の深い内容を掘り下げていくという芸術性ではヒケを取るものの、京の和菓子を思わせるような雅やかで古典趣味的な上品さと、ポピュラー音楽にもヒケを取らぬような魅力的なメロディーを随所に散りばめたチャーミングさは、この曲が群を抜いている。
メンデルスゾーンは、ユダヤ富豪の銀行家の父と、プロイセンの宮廷宝石職人の娘だった母を両親に持ち、さらには伯父が有名な哲学者という類稀な恵まれた環境で生を享けた、いわばサラブレッドである。若い頃から自由自在に世界各地を旅しながら、気の赴くままに長期滞在をして見聞や交遊を広めていくという、芸術家にとってはこれ以上ないような環境で育ち
「行けども行けども、薔薇また薔薇・・・」
などと評されたくらいだった。そのように、いかにも幸せに包まれて育った青年らしい爽やかな筆致で書かれた、ちょっぴり物悲しいながらも聴いていて心がウキウキと弾んで来るように楽しいのが、メンデルスゾーンの音楽だ。
特に、この『ヴァイオリン協奏曲ホ短調』こそは、僅か30分足らずの中にメンデルスゾーンのエッセンスが、ギッシリと詰まった傑作といえる。三つの楽章は、中断なく続けて演奏するよう指示されているが、それは後年シベリウスの交響曲に見られるような有機的な繋がりによるものではなく、各楽章の楽想はむしろ独立性が強い。連続して演奏するようにという指定は、作品の持つ流動感や漸進性を中断させないための配慮と考えられている。また、それまでは奏者の自由に任されることが多かったカデンツァ部分も全て作曲し、音を書き込んでいる。これは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』と同様、曲の統一性のためである。
※Wikipedia引用
0 件のコメント:
コメントを投稿