2004/04/25

プッチーニ オペラ『ラ・ボエーム(La Boheme)』(4)

ムゼッタのワルツ「私が街をあるけば」(Quando me n'vo soletta per la via)
 






 好奇心旺盛で、作品の質を高めるための貪欲な探究心を持つプッチーニの興味の対象は、フランス(『マノン・レスコー』、『ラ・ボエーム』)、自国イタリア(『トスカ』)、そして日本(『蝶々夫人』)、さらにはアメリカ(『西部の娘』とアメリカ三部作)と来て《次は一体、どこをテーマに選ぶのか・・・》と多くのファンから期待を持って見守られた中、意外にもその目は再び東洋に向けられる事になった。と言っても再びの日本ではなく、白羽の矢が立てられたのはお隣の四千年の歴史を持つ、チャイナであった。

ラ・ボエーム』の「ボエーム(Boheme」というのは「ジプシー」という意味のフランス語で、英語で言えば「ボヘミアン(Bohemian」、つまりボヘミア人という意味だ。当時の売れない芸術家たちは、ジプシーのように見られていたのであろう。「ラ(La」は、英語の「the」に相当する定冠詞である。

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