プッチーニは非常にユニークな人で、ミラノ音楽院時代は抜きん出た落ち零れだったらしく、教師から
「あいつだけは、まったく箸にも棒にも掛からん・・・」
と、すっかり匙を投げられていた曰くつきの存在だったとか。同学で仲の良かったマスカーニが「カヴァレリア・ルスティカーナ」というオペラで一躍スターダムにのし上がった時も「プッチーニとは、まったく月とスッポンだ」などと扱き下ろされたらしい。
ところが天は才を見捨てずというヤツで、終わってみればマスカーニはこの一曲だけで夜空に消えた流れ星のように、或いは打ち上げ花火のようにあっけなく姿を消したのに対し、プッチーニの方は出す作どれもが当たりに当たり、ご存知の通り世界を代表するオペラ作曲家へとのし上がって行く事になった。
ミラノ音楽院では、稀代の落ち零れで教授陣から匙を投げられていたプッチーニだったが、それではこの人が生来の怠け者なのかと言えばまったくそうではなく、それどころか実際には大変な勉強家であった事は、その音楽に如実に現われていると言って過言ではない。プッチーニのオペラの歴史は、まさに研究の歴史と言っても良いくらいで、非常に様々に新しい試みにチャレンジし続けた人であり、その範囲の広さはオペラ史の中でも屈指と言えるのである。
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