2004/04/13

「愛知」の歴史



 以前に偶々、何かのアンケートを見ていたら「好きな都道府県名」人気投票というものをやっていて、47都道府県中「愛知」が1位に輝いていた。理由として 「字の並びがキレイ」 とか何とか出ていたが、愛知生まれで愛知育ちのワタクシとしては

(そういや、そうか・・・)

という程度の認識しかなかった。

しかし「愛知」という、少し異色ともいえる地名がどこから来たのかという点が、確かに気にはなる。そこで調べてみると、この地名の由来は古く『万葉集』にまで遡る事が出来るようである。

『桜田(さくらだ)へ鶴(たづ)鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る』(桜田の方へ、鶴が鳴いて渡ってゆく。 年魚市潟は、潮が引いたのであるらしい。鶴が干潟の上を鳴きながら渡ってゆく)《名古屋市南区には、現在も桜田の地名が残る。  年魚市潟の東。鶴鳴き渡る 干潮になった年魚市潟を飛び立ち、鳴きながら干潟の上を渡ってゆくといった意味である。年魚市潟とは、名古屋市熱田区と南区の境辺りにあった干潟の事で、熱田神宮が近い。どうやら、この「あゆち」が今日の「愛知」の県名の由来と言われる》

《愛知県の「愛知」の由来は、愛知郡に名古屋城があったことから来ているようだが、その愛知郡の愛知はどこから来たのだろうか?

万葉集にも詠まれている「年魚市(あゆち)」が、その後「愛智(あいち)」になったのだ、と言われる。「年魚市潟」というのは、当時の天白川河口附近の入りくんだ潟を指している。天白川の河口近辺は、アユやウグイが群れ遊んでいたのだろう。アユばかりでなく、至るところに発達した入江や湾には多彩な魚が棲みつき、浅瀬の砂地には貝類が繁殖していたに違いない。

「年魚市潟」は、結局「愛知」という地名の元となるわけだが「愛知」の由来はアユが豊富に獲れた土地という意味ではないだろうか。それを裏付けするように、平安時代には当地から京都に大量の「あゆの塩煮」、つまり「あゆのつくだ煮」が税金として送りこまれているし、江戸時代になると徳川家に「あゆの鮨」や「うるか」が献上されている》

《また「あゆち」の「あゆ」は、「あえ」の変形とみることもできる。「あえ」は「」で、「もてなす」とか「ごちそう」、または「多くの人々が集まって宴会を開く事」、「神に飲食物を供える事」などの意味になる。いずれにしても「愛知」という地名が、飲食と密接な関係のある事ことを物語っているようだ。

 「あゆ」にしろ「あえ」にしろ、土地の豊かさを表現したものである。肥沃な平野の広がる愛知県は周辺地方の穀倉として、古くから農業の盛んな地域であった。  そして天白川河口前面に展開する伊勢湾も、陸地に劣らぬ豊かな海で海産物の宝庫だった。今から一万年前から紀元前300年までの縄文時代、まだ本格的な農耕文化の起こっていない遺跡から、様々な魚貝や獣の骨などが出土している。  名古屋市の瑞穂区に大曲輪貝塚があるが、土器に混ざって石鏃が多量に発掘されている》

『日本書紀』の

『日本武尊の佩せる草薙横刀は、是今、尾張国の年魚市郡の熱田社に在り(巻第七、景行天皇五十一年)』
『素盞嗚尊、剣を抜きて斬りたまふ。尾を斬る時に至りて、剣の刃少しき欠けたり。割きて視せば剣、尾の中に在り。是を草薙剣と号く。此は今、尾張国の吾湯市村に在す。即ち熱田の祝部の掌りまつる神是なり』(巻第一、神代上)

といった記述に見られる通り「年魚市」または「吾湯市」という地名は、古代から既に散見していた。

●ポリネシア語による解釈
愛智(あいち)郡=古代からの郡名。尾張国東部、伊勢湾に面する地域でおおむね現在の名古屋市(西部から北部の一部(庄内川右岸)、東部の一部(矢田川右岸および天白川流域の北部)を除く)、日進市の南部、豊明市(南部の一部を除く)、愛知郡東郷町の南部、三好町の地域です。

中世末期には山田郡は廃郡となり、日進市の北部、長久手町、東郷町の北部の地域は愛智郡に編入されました。古くは「あゆち」といい、和銅6年の好字令によって「愛智」の字が用いられるようになったとされます。

『和名抄』は「阿伊知(あいち)」と訓じます。郡名の由来の「あゆ」は湧き出る意で「湧き水の多いところ」とする説、東風を「あゆ」と訓む(『万葉集』)ところから「めでたいものを齎す風」の意などとする諸説があります。

この「あいち」、「あゆち」は「アイ・チ」、AI-TI(ai=beget,procreate;ti=throw,cast,overcome)、「子供を産んで・捨ててある(支流が分かれている。または川の途中に川と連結した池沼がある。地域)」または「アイ・イチ」、AI-ITI(ai=beget,procreate;iti=small,diminutive)、「ほんの小さな・子供を産んでいる(小さな支流が分かれている。または川の途中に川と連結した小さな池沼がある。地域)」(「アイ」のI音と「イチ」の語頭のI音が連結して「アイチ」となった)

「ア・イフ・チ」、A-IHU-TI(a=the...of,belonging to;ihu=nose,bow of a canoe;ti=throw,cast,overcome)、「あの・鼻(断夫山古墳)が・放り出されている(地域)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)の転訛と解します。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/ 引用

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