勝ち抜き相撲「優勝」はミグの「超人伝説」の始まりに過ぎず、真の「超人伝説」はここから始まる。
4年生の球技大会で大活躍し「ドッジの神様」と尊崇を集めたにゃべっちに、最大の強敵が現れた。
当時の大会で、にゃべっちとともに最後まで6年生を相手に奮闘したヒグチ少年、言うまでもなく「超人ミグ」だ。
正確には「ドッジボール」と言うよりは「当てっこ」と言うべきか。
そろそろ放課後が終わろうという時間になると「当てっこ」と言って、ひたすら誰かにボールをぶつけるだけのゲームが繰り広げられるようになっていた。
これは「最後にボールを持っている者が片付けなければいけない」というルールから派生した新たなゲームだ。
この「当てっこ」は、元々はドッジボールの「余興」のようなものだったはずが、いつの間にかドッジボールそっちのけで、最初から「当てっこ」が行われるほどのブームになっていた。
そして、この当てっこにおいて天才的な才能を発揮していたのがミグである。
あの天然のパワーに加え、かなりの距離からでも狙った獲物は滅多に外さないといいう、針の穴を通すような抜群のコントロールを誇っていた。
しかも悪いことに何故かこのミグが、いつもにゃべっちばかりを狙って来るのである。
さらにこのミグは、攻撃力だけではなく受けや逃げも超一流で、長身をしなやかに操って絶対にボールを当てさせなかった。
攻撃ではボールが手に吸い付いているのではないかというほどに、あの大きなドッジボールを自在に操り、受けに回ってはしゃがむ、跳ぶ、避ける、交わす、受ける、何でもござれの驚異的な変幻自在ぶりである。
そのあまりの神懸りぶりには、みなア然ボー然だ。
にゃべっちも呆れて
「オマエは超人か!」
と怒鳴ったことが契機となり、いつの間にか「超人ミグ!」と呼ばれるようになってしまった。
思えば、これが後に「あだ名付け名人」と称される、にゃべっち命名の始まりだった(第1号は「テラダ(寺田)」の「ボサマ」)
この頃のミグは、あの2年前の全校ドッジボール大会での己を見るかの如くに神懸っており、ドッジの時だけは劣等性の彼の背中からオーラが見えるようだった。
こうして、連日激しく繰り広げられる「神童」vs「超人」の対決は放課後の名物となり、次第にブームだったカンフーのポーズを真似たりしながら、技術的にもかなり高度化していった。
この攻守ともに神懸っていたミグとのスリリングな攻防では、やることなすことが何でもイメージ通りに運んだこれまでとは違い、思うようにことが運ばない猛烈な苛立たしさを募らせた反面、初めて目の前に現れたこの強力なライバルに対し
「今日こそは、なんとしてもヤツを倒さん!」
と闘志を燃やす充実した時でもあり、色々な面で非常に鍛えられた貴重な経験だった。
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